ゲームボーイアドバンスの液晶を交換した話

高校二年生のとき、中学生の頃に買ったゲームボーイアドバンスを、初めていろいろ改造した。

ホワイトだった本体をウレタン塗料でがっつり黒に塗り、電源の LED を緑から青に変え、そして Afterburner と呼ばれるフロントライトを追加して、さらにその光量調節をボタン操作で行えるようにするチップ(Stealth Dimmer Chip)を取り付け。

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大宮高校ギター部 第 40 回定期演奏会

さいたまダービー最終戦こと、大宮高校ギター部さんの定期演奏会。5 月 6 日、水曜日。さいたま市民会館大宮の大ホール。

アンコールの出来が! 至高でした! そういえば 去年 もそうでしたね。

メイン曲のように緻密にかちっと組み立てる作り方もできて、アンコールのように自由闊達な作り方もできる、そういうフレキシブルな器用さがありそうです。

今回は全体的に前者寄りでしたが、個人的には後者の空気も大好きなので、積極的に登用してほしいところ。

じっくり煮込んだ重奏も、じっくり煮込んだだけあってじっくり煮込んだ味がしました。

なかでも Summer のうたいあげが絶妙で、久しぶりによいギターの音を聴いたなあと思える、納得の響きでした。よいものです。

たのしかったです。

ぼくがこうしていろいろな部活の演奏会に足を運べるのも、いつまでできるのかなあって、最近そんなことを思うことが増えました。

時間が経つのは、はやいものです。

坂戸高校ギター部 第 31 回定期演奏会

坂戸高校ギター部さん。去年文化祭に行って 気になったので、今度は定期演奏会に行ってきました。

5 月 4 日。会場は坂戸市文化会館の大ホール。

文化祭のときから感じていたことですが、寸劇など “遊び” のテンションを全体に取り入れながらも、根底はひじょうに礼儀ただしい、とてもていねいな部活である印象を受けました。

重奏では個々人の名前がアナウンスされて、入場時に一人ずつにスポットが当たって礼をして拍手をもらう時間がある。定期演奏会は『部活』という単位での催しで、だから個々人が大きく取り上げられることは多くないのですが、こういう枠をうまく使うのはすてきな文化ですね。

演奏もとてもていねいで、逆にいえば全体的におとなしい印象もありましたが、HERO のトレモロやアラジンのグロッケン、流星群の導入部など、ところどころヒカるモノがあって満足でした。とくに流星群の導入部は空気感がさいこうによくて、ああいう音は聴くとぞくぞくしますね。演奏の最大の演出は音そのものだよなあと。音を出した先の空気までつくれると、演奏の世界はやっぱり広がります。

ただ、編成上、プライムギターが大多数なので、どうしても中音部が厚くなりがちな傾向はありそうです。プライムギターの音の丸さは武器ですが、同時に埋もれる原因にもなるので、役割に応じて音色を変化させるなどバランスを取ってみるのも楽しいかもですね。

マイクがにょきにょき潤沢に立っていた(うらやましい!)のと、あとは重奏の方々の演奏にぴったりな衣装と照明と舞台づくりのセンス(うらやましい!)がうらやましいポイントでした。演出は曲の雰囲気に合いすぎていてズルいレベルです。

演奏だけを追求した演奏会ではなくて、部活というコミュニティそのものを紹介する場、あるいは保護者の方々や OB の方々に成長をお披露目する場として、とても機能的な演奏会でした。よいエンタテイメントです。みなさんたのしそうです。

30 年以上続いている長い歴史があるとのこと。これからも折に触れて追いかけて行きたいですね。

相模原中等教育学校クラシックギター部 第 27 回定期演奏会

行ってきた。4 月 19 日、土曜日。相模女子大学グリーンホールの、大ホール。伝説的なセンパイたる一期生さんたちの去年の活躍を受けての、二期生さんたちの定期演奏会。

今年もしっかりとよい演奏会だった。『一期生スゴい』から『この部活スゴい』にきっちり切り替わったし、きっと来年も再来年もよい演奏会になるのだろうと思う。

もちろん全曲がカンペキってことはなかったけれど、ウマい曲のウマい部分は信じられないくらいウマいのもあいかわらずで。コンクール曲であるムソルグスキィの本気で狙ってきている感とか、オーボエ協奏曲の一瞬で会場の空気を変えるほどの作り込みっぷりとか。さいこうでした。

そして今年も指揮がよい。コンクール曲の彼も好きだけど、四年生の彼もまたスゴいのが出てきたなあという感じで、すでに来年の楽しみができてほくほくしている。

コンクール、楽しみですね。8 月、東京芸術劇場で会いましょう。

多摩高校ギターアンサンブル部 第 49 回定期演奏会

毎度おなじみぼくの原点、多摩高校ギターアンサンブル部の、第 49 回定期演奏会に行ってきた。

3 月 27 日、金曜日。多摩市民館大ホール。七年ぶりに “市民館” での開催。多摩市民館、ぼくの引退時(第 39 回)の開催地でもある。

ぽつぽつと感想ツイート(?)をしたので、それを転載する形で。

パートリーダだけって、人数比的な意味でそもそも構成上の問題を抱えている状態なのだけれど、でもよかった、とても。

信頼関係でできた音、すてきです。

パート紹介の『紹介』としての本意は、合奏におけるパートと楽器の役割を構成面と音域面で切り取って強調してみせることなので、その意味で主旋律のアルトギターと超高域での修飾のソプラノギターという役割がはっきりした編曲だった。

これは書いたとおり。いままで聴いたなかでいちばん。ソロはこうでなくっちゃね。

どの曲も市民館とは思えないくらい気持ちよく音が抜けてきたし、響かせれば響くのね。音の出し方がウマいんだろうなあ。

市民館で開催する是非はいろいろ意見があるだろうけれど、お高くとまりがちなコンサートホールよりは確実にこっちのほうが客席との(心理的な)距離は近いし、聴く側も『日常の延長』の世界観で居られるので、親しみを感じやすいというのはあると思う。労せずとも “それなり” になってしまうコンサートホールと違って、こういう市民館でのコテコテの手作り感もだいすき。

ギターアンサンブル部といったって、別に音楽家の集まりではなくて、ただの部員の集まりだし、そうすると音楽はそれ自体が目的ではなくて、あくまで部活をたのしむための手段でしかないわけで。

音楽側に寄せたらコンサートホールだろうし、部活側に寄せたら市民館だろうし、一長一短ではあるものの、好き放題たのしむ(部活らしい)自由度は市民館ならではだよなあと思う。

来年は第 50 回。とうとう 100 まで折り返し地点。楽しみです。

自分が他校の何期生相当かすぐわかる、ギター合奏クラスタ用 Web サービス『多摩高期数変換機』をつくった

背景

ギター合奏界隈で集まってお互いに自己紹介するときに、『○○高校の△期の□□です』という言い方をよくします。ぼくでいえば、『多摩高校の 48 期の黒井です』といった具合ですね。

これ、同じ学校であればすぐにどの世代か理解できて自分との関係性も導き出せるのですが、当然ながら他校の数字で言われてもよくわかりません。それどころか、学校によっては、”期” ではなく定期演奏会の “回” で数えているところもあります。

もちろん、他校出身の友人がいるのであれば、そのひとを基準に計算することは容易いし、慣れてくれば自分の頭の中に対応表が出来上がってくるものです。最近では『多摩高校換算で××期相当』と自己紹介に最初から含めてくる強者もよく目にするようになりました。

とはいえ、そういうコミュニティの空気に慣れるまでは、それはなかなかできるものではありません。

相手の世代がわかることで、初対面でも、コンクールで弾いていた曲、交流会であったできごと、共通の先輩や後輩など、話題の幅がかんたんに広がります。とくに相手が自分に近い代である場合はなおさらで、思い出話に花を咲かせやすくなるというものです。

そんなわけで、初対面でも話のきっかけを増やせるかもしれない仕組みのひとつとして、これを作りました。

……もともとこういう変換機構は欲しいなあとは思ってはいたのですが、実装に着手したいちばん直接的な理由は、最近老害おじさん友人がこんなことをやっていたからです。

作ったもの

これです。

多摩高期数変換機

多摩高期数変換機

これは、中学や高校でギター合奏を行う部活動や同好会に所属している、または所属していた方々を対象にした、

  • 自分の学校名と期数』か『自分の学校名と引退時の定期演奏会の回数』か『自分の誕生年度』を入力すると
  • 自分がほかの学校では何期生に相当するのか、第何回の定期演奏会の代かがわかる

という機能をもつ Web サービスです。

つかいかた

スマートフォン世代の方々にはすぐ馴染めるようなインタフェイスにしたつもりです。

  1. 最上段のタブで変換方法を選びます
    • [期から] は、[学校] と [] を元に計算します
    • [定演から] は、[学校] と [引退時の定演] を元に計算します
    • [誕生年度から] は、[誕生年度] を元に計算に変換します
  2. 変換方法に応じた入力欄が表示されるので、すべての欄で適切な値を選択します
  3. 入力が完了すると、画面下部に結果が表示されます
  4. お好みで [結果をツイートする] ボタンでツイートします

使い方
使い方

また、右上の [設定] ボタンからは、いくつか挙動を任意で変更できます。設定は任意のタイミングで変更可能で、変更は即座に結果に反映されます。

設定
設定

[定演の回を表示する] のチェックを入れると、計算結果に期数だけでなく、その期の代が引退したときの定期演奏会の回数も併せて表示されます。デフォルトは無効です。なお、定期演奏会の回数はツイートには含まれません。

[マイナス表示を許可する] のチェックを入れると、”1 期” のひとつ上を “0 期”、もうひとつ上を “-1 期”…… とさかのぼって表示するようになります。デフォルトは無効で、”1 期” より上の代はすべて “-” と表示します。”1 期” のひとつ上を “0 期” にするべきか “-1 期” にするべきかは議論の余地がありますが、実装がラクなのでひとまず “0 期” にしています。

考えたことというか工夫というか

世代の区別の根拠は学校によって “期” だったり “回” だったりといろいろなので、そういった差を吸収するため、複数の変換方法を用意しました。

また、処理を JavaScript で完結させているので、サーバとの余計な通信は発生しません。

拡張しやすくするため、学校の情報はすべてひとつの連想配列にまとめました。結果の表示枠もすべてその配列から動的に生成させているので、配列に一行足すだけで学校が追加できます。

あとは結果が “-” になる学校の分はツイートに含めないとか、入力時に学校に応じて期の選択肢が変わるとか、細かなところは手を入れています。

未実装、あるいは検討の余地

あくまで機械的に算出しているため、『定期演奏会が必ず一年に一度だけ開催される』という暗黙の前提を置いています。この前提に従っていない歴史がある場合は、計算結果が狂います。

おくさまに見せたら、『Facebook か Twitter と紐付けて結果をデータベースに貯めて、誰と同期だとか誰が後輩で先輩だとかわかるようにしたら?』と言われました。さすが IT やさんです。

まとめ

本業のおしごとでは IT 系と言いつつ Web アプリケーション系のコードを書く機会がまるでないので、久々に趣味のプログラミングって感じでおもしろかったです。

jQuery Mobile、便利ですね。まともに使ったのは恥ずかしながら初めてだったんですが、好きになりました。

こういうのって、コードを GitHub に載せるとイイんでしょうか。最近のお作法ってどうなんだろう。

ちなみにこの勢いに乗って、実は Python + jQuery でそれなりに機能する CGI を作ったんですが、それはまた別のお話。一般公開はしていないです。

ぼくが 2014 年に聴いたり観たり出たり手伝ったりした演奏会まとめ

昨年もまとめましたが、今年もまとめます。

今年は『イベントごとにエントリをひとつ』という記録の付け方をひそかに目標にしていました。

というわけで、だばだばと列挙していきます。

ここまでで半年。クラシックギターを中心に、ロック、吹奏楽、ボサノヴァなどに触れた日々でした。

続いて後半です。

あいかわらず中心はクラシックギターでした。人生の中で諸事情により吹奏楽成分が増えてきていますが、ほかにもオーケストラ、ビッグバンドなどなど、いろいろです。

Rubinetto が本格的に演奏活動を始めたのも、7 月以降でしたね。ぼくのギターの中心はどうしたって新日本ギターアンサンブルなので、自分の “看板” というかアイデンティティは主にそれではありますが、Rubinetto は Rubinetto で息の長い団体にしたい、という思いが強くあります。

いろいろな音を聴く、ということは、自分の音を磨くうえで絶対に必要なことだと思っています。

身近な目標、自分にとっての “理想の音” を探すこと。おおいに妄想して、脳内で “理想の音” が鳴らせるようになること。さらにその脳内の “理想の音” を磨きあげていくこと。いろいろな音を聴いて、いろいろな弾き方をみて、きれい、きたない、かっこいい、かっこわるい、そういう自分の中に湧く素直な感想をだいじにして、自分にとっての “理想の音” を高めていくこと。

ここ何年も、ずっとそういうことを続けています。

意識しよう、うたおう、よくいわれるこういう指摘は、”脳内で理想状態を思い浮かべて” と、”その理想状態をなぞるように弾く” という、ただそれだけの、ほんとうにただそれだけのことなのです。だからこそ、”理想状態” そのものを高めることが、成果に直結するわけです。

顔文字がウザい(書きながら自分でそう思った)けれど、以上、一年半くらい前のツイートをお送りしました。

偉大なる先達のコトバを引用して終わりにします。

そんなわけで、全部で 35 回の演奏会に聴いたり観たり出たり手伝ったりした一年でした。前年比で 10 回増しです。

来年…… は、動きが鈍りそうな気はしますが、引き続きいろいろなところに顔を出していきたいところです。

相模原中等教育学校の文化祭で、クラシックギター部の演奏を聴いてきた

今年も行ってきた。9 月 22 日の日曜日、相模原中等教育学校の文化祭、蒼碧祭の文化部門。

ただの視聴覚室だから音楽用の場所ではないのだけれど、それなりに防音がしっかりしていて外の騒音がかなり抑えられているので、”文化祭” らしからぬ音響で聴けるのはこの会場のよさのひとつ。

平たくいうと、やっぱりうまいなあ、ってかんじ。ステージにもかなり慣れていて安心感がある。

ギター合奏歴二年から五年のひとたちの集まりだし、そりゃあ当然感覚も育つだろって話ではあるのだけれど、それにしたって中高一貫の強みがうまく出ている気がする。年齢差が大きくなるのはもちろん弱みでもあるのだけれど、それを踏まえても組織としてのバランスはとてもよさそう。

ポピュラ音楽ってどうしても歌詞があってこそのものも多くて、でもギター合奏でやるなら歌詞は表現できないから、いかにメロディを歌詞から卒業させてひとり立ちさせられるかがおおきな課題。聴き手が歌詞を覚えているような有名な曲であれば『聴き手の脳内で勝手に歌詞が再生されることで補完されて曲として完成する』っていうこともなくはないのだけれど、それこそ個人差だから意図して狙うべきではないし。

つまるところ、ギター合奏でその曲を演奏する必然性をどう持たせるか、という話になるのだけれど。

やさしさに包まれたならとか、君をのせてとか、その辺のもうド定番で超有名なものは、いまさらそれを問いかけてどうするのってところまで枯れている感もあるので、細かいことは気にせずに好きにうたえばたぶんきれいにできあがるタイプの曲。

と思って聴いていたら、実際何の不安もなかったよね。こういうのをさくっと不安なくつくるあたり、基礎力の違いだよなあとも。悪くいえば、そもそもの選曲に目新しさはないし、できあがる演奏も予想通りでしかない、とも言えるのだけれど。

今回の曲目の中では Surge III の第三楽章がいちばん好きだった。うねりっぷりもだけれど、指揮者の H くん、お世辞抜きに観るたびにめきめき腕が上がっている感がすごい。ぐんぐん伸びるうえに来年も続投予定とのことで、これからも化けそう。楽しみ。

序奏とアレグロは、個人的には表情の変化を暑苦しいほどに愚直に音にしてぶちまけるような演奏が好きなので、ちょっと冷静すぎた気も。考えて弾くのもだいじだけれど、すべての表現が考え抜かれた計算尽くのものになってしまうと、それはそれでつまらない。もっとも、たぶん芳醇な響きがあってこその曲でもあるから、根本的に場所との相性がすこぶる悪そうというのもあったのだけれど。

あとはからあげを食べたり、たこやきを食べたり、わたあめに並んだり、写真館をみたり、文化祭らしく文化祭を楽しんだ。いろいろなひとにひさしぶりに会えたし、たくさんのひとに声をかけてもらえるのはうれしいものです。

そして恩師にもお会いできた。じつは文化祭に来た目的の半分はこっち。

もともと多摩高校で教えていた先生。相模原中等教育学校で教鞭を執りはじめて六年目。

ぼくの人生でほんとうに数少ない、”尊敬” という表現を遣うことを微塵も厭わない先生、”恩師” と表現することに一切の躊躇をしない先生のひとり。高校当時、話した時間はそう多くはないのだけれど、その短い時間でだってぼくの生き方が刺激を受けるには充分すぎるほどで。

卒業して以来の再会で、会えば話題はやっぱり学校のこと、教育のこと。学校は “生き方” を学ぶ場所だと、ぼくは教育についてはしろうとなのでそのくらいの感覚でしかものを言えないのだけれど。

あいかわらず哲学は健在で、絶望的なまでの頭のよさと回転の速さには到底追いつける気がしないなあと思いながらも、ひとときの会話を楽しんだ。

また会いに行こうと、そう思った。

多摩高校の文化祭で、ギターアンサンブル部の演奏を聴いてきた

もう何度目かわからないけれど、今年もぼくが愛してやまない母校こと多摩高校の文化祭へ、ぼくが愛してやまない部活ことギターアンサンブル部の演奏を聴きに行ってきた。

9 月 6 日、土曜日。

行ったのは一日目の第一回目の公演。例年通りほかの OB 勢といっしょに外の階段に居座る。

何度も言っているけれど、部活って『楽しいは正義』の最たる例で、活動内容よりも実は部活という活動形態そのものにものすごく価値があるものだと思っている。

入部したきっかけは “ギターであること” だったかもしれないけれど、あるときからギターが “部活を楽しむための手段のひとつ” になることは、たぶんよくあることなのだろう。時間を共に過ごす仲間がいることは、それほどまでに “部活” を魅力的にする。

部活は、だからどうしようもなく、よいものだと思う。だからぼくは好きだ。好きだったし、いまでも好きだ。

そんなことをぱやぱやと考えながら、全力で部活を楽しんでいる現役さんたちを眺めていた。外の階段は、部活が部活であることがよく見える位置でもある。

見えるけれど、音はあまり聴こえない。

もちろん少しは聴こえるし、廊下に首を突っ込めばもちろんもっと聴こえるけれど、でもなんていうか、全力で部活をしている現役さんを見ていたかった、ということもあって。

重奏のうち一団体、音がすばらしくよくでているところがあった。その場にいた三年生にパートリーダ重奏か何かかと聴いたら、『えっと…… つよいひとたちです、こんみすさんとか』という。よい表現だと思った。つよいひとたち。

それ以外の演奏は、そんなわけであまり聴けていない。それでも、Surge もパガニーニも、コンクールの演奏よりもぼくはすきだった。

力まずにスマートに弾くことが、この代にはよく似合う。”笑顔” と書かれた紙を掲げて、それでひとを笑顔にできるのは、つまりは彼の人望だ。

そんなこんなで、総じて部活っていいなあと思った、そんな土曜日だった。

坂戸高校の文化祭で、ギター部の演奏を聴いてきた

行ったことがない高校の文化祭に行くときのわくわく感、久しぶりだった。

8 月 31 日、日曜日。池袋から東武東上線にゆられること五十分(ちかい!)、埼玉県立坂戸高等学校の文化祭、やなぎ祭へ。ギター部の演奏を聴いてきた。

最近では NKG のコンクールでおなじみの坂戸高校ギター部さん。昔は JAEM のにも出ていたし、JGA のにも 2009 年に一度。”独立系” とでも言うか、勝手に親しみを持っていたこの方々。

ひとことでいうと、定期演奏会に行きたくなった。体育館では聴けない音が聴きたくなった。

マジカル☆プレリュードと、ARSNOVA 組曲の第一楽章が、全日本ギターコンクールに向けた二曲。これ以外は映画音楽かポップスというとても文化祭らしい選曲。

文化祭での演奏って、どこの学校でも音響条件はよくなくて、だから音を聴くというよりはどちらかといえば割り切って空気とか雰囲気とか学校そのものとか、音以外のところのを楽しみに行くようなもの。

今回も会場は体育館だったし、ぼくが立っていたのもうしろの方だったから、まともには聴こえないのを覚悟していたのだけれど、思っていた以上に “こなれていた” ので、これはぜひきちんとした演奏会でしっかりと音を聴きたいなあと、そう思った。

コンクール曲ではアルトギターもバスギターもギタロンも弦バスもでてきたけれど、大多数がプライムギターというめずらしい編成。パート分けも特殊そうで、コントラバスギターは見当たらない……?

それでも構成のアンバランスさをあまり感じなかったので、体育館ていう悪条件下であることも考えると、音を作る感覚は鋭そう。やっぱり体育館でないところで聴いてみたい。でもひとついうなら、しかたがないとは思いつつ、打楽器はちょっと大きすぎた……。

そして全体的におとなしいといえばおとなしい。空気も雰囲気も堅実で真面目な印象で、きれいなクラシック曲がよく似合いそうなのだけれど、それは逆に派手さや特徴めいたものを隠してしまうものでもあって。

ポップスや明るくて元気な曲を中心に並べるのであれば、はちゃめちゃにうたうとか、エネルギィを爆発させるとか、がつがつに欲のままに弾くとか、もうちょっとそんなテンションに近付けられたら生まれ変わりそうな気はした。

もうひとつ進行面、たとえば司会の礼とかメンバ紹介とか入り捌けとか、そういうところがとても厳格で統率のとれた礼儀正しい動きだったので、司会のしゃべりのテンションとのギャップあって、楽しげになった空気が細切れにされてしまう感があったのはちょっと残念。このあたり、司会のテンションを基準に時間の流れを作ってみると、風通しもよくなるかもしれない。好みの問題でもあるけれど。

しかし何を言ったところで、やっぱり体育館だっていうのが惜しい! 脳内で補完するにも限界があるし、やっぱりどこかのホールで静かに聴きたい……!

定期演奏会は五月のようなので、来年おじゃましたいところ。生音でのていねいな音作りは得意そうだし、JGA のコンクールにももういちど出てみてほしいなあとも思った。評価軸が違うコンクールが別にあるっていうのは、こういうときにおもしろい。

終わったあと、あまりこない地域なので周辺を散策。ゆったりのんびりとした風景で、視界の広さがうれしかった。

こういうところに学校があるのはうらやましい。晴れた夏の日に広い田んぼの横を自転車で駆ける姿は、ぼくがどこかで憧れているもの。

帰り道、ついでに川越市駅で途中下車。十年くらい前に川越高校古典ギター部さんの定期演奏会を観に来て以来。

ひとがとても多いなか、退色した写真のような町並みを眺めつつ、長いふ菓子を小脇に抱えて、帰路についた。

そんな遠足。たまにはよい。