新しいギター演奏団体、Rubinetto ができました

ひとことでいうと、メンバ募集中です。Rubinetto、ルビネットといいます。

RUBINETTO | クラシックギターなインストゥルメンタルバンド!

ギター部卒業しちゃって、もうすこしギター続けたいけど、どこの社会人団体もだいたいレベル高いしなー、あそこまでガチにやりたいってほどでもないんだけどなー、ちょうどいいところないなー。

とか、

ギター部卒業しちゃって、ほんとうはもう少しギター続けたかったけど、気軽にぴょろっと入れそうなところがなくて結局あきらめたんだよねー。

とか、そんなひとたちの集まりです。

そして同じことを思って同じようにギターを諦めた、あるいは諦めかけている、そんなひとたちをもっと集めて、いっしょにギターを弾こうとしています。

  • だから講師は居ません。ぜんぶ自分たちでつくります
  • 練習場所はそこらへんの公民館の会議室とかです
  • とくにコンクールに出る気はないです。でもただの演奏会はなるべくたくさんやりたいです
  • クラシック曲は弾きませんインストゥルメンタルばっかりです
  • ぶっちゃけ、下手でも楽しければいいじゃんって思ってます

そんな団体です。興味がある方はぜひ 中のひとのだれか にお声かけください。よくわからなければ お問い合わせページ からめーるくれればどうにかします。

近いうちに、以下のイベントがあります。参加自由なので、お気軽にどうぞ。

入るか入らないかは、見に来てから考えればよいのです。

できたてでレパートリィは少ないけれど、でもやっぱり、ギターはたのしいんだって、そう思いながらやっています。

ちかいうちに演奏の動画を YouTube あたりにぶん投げるつもりなので、それもお楽しみに!

全国学校ギター合奏コンクール 2014 で、ギター合奏のことを考えた

全国学校ギター合奏コンクール 2014。併催、第 25 回 JGA ギター音楽祭 Kyo-en in 東京 2014。

今年もこの日がやってきた。

8 月 25 日、ミューザ川崎シンフォニーホール。前身の全日本学生ギターコンクールを含めると、ぼくの人生で十二年目のこのコンクール。年にいちどの夏の楽しみになって久しい。

行ってきたというとお客さんのようだけれど、実のところだいたい毎年、裏方のひとりとしてぼくは舞台袖に居る。

袖では見えない風景も、袖では聴けない音楽も、袖では味わえない空気もあるけれど、袖でしか見えない風景も、袖でしか聴けない音楽も、袖でしか味わえない空気もある。

ぼくはそういうものがだいすきで、だからぼくはぼくがそこに居られることがすごくうれしい。

会釈するだけ、ほんのひとことふたこと言葉を交わすだけ、あわただしく動き回っているとどうしてもそれだけしかかなわないこともあるのだけれど、それでも出場するいろいろな学校に、友人知人が居る。自分が出場していたころ、あるいはまだぼくの世界が狭かったころ、どうしたって母校びいきで、いうなれば “多摩とそれ以外” というくくりでしか観られなかった世界も、今ではもうまるで違うもの。

“やりたいからやる” という、人類最強のモチベーションの表出であるところの、部活。

全国にちらばるたくさんのそれが、コンクールとコンサートという似ているようで四分の三くらい対極にあるふたつをそれぞれで繰り返すわけで、どうしたって創発的に進歩するはずだし進化するはずだし発展するはずだし発達するはずで。年々レベルが上がっているとよく言われるけれど、だからある意味でそんなことは当たり前で、逆にそうでなければこの世界に未来はない。

順位が決まって、賞が決まって、今年のコンクールはそれで終わる。どこが勝った、どこが負けた、うれしい、くやしい、いろいろあるし、友人たちがわんわん泣いているのを観て、ぼくだっていろいろ思うけれど。

この日、この学校がこういう演奏をした。その演奏は、この審査員の方々にこう評価された。その結果、こういう順位が付いた。それはもうひとつの事実で、あしたからのギター合奏は、その事実の上でしかできないし、その事実からしか生まれない。あしたのギター合奏は、あしたをいきるひとがつくるし、一年後のギター合奏は、一年後をいきるひとがつくる。

ぼくが出ていた頃と今年のこれとを近似直線で結んでみたところで、この先の百年二百年の予測が立てられるわけでもない。それでも未来は過去がないとつくれないから、この日は未来のギター合奏を作るためには必要不可欠な一日で、それを演奏者として作り上げた七百名はやっぱり偉大な方々なのだと思う。出場することでしか得られないものは、溜め息がでるほどに大きいし、目眩がするほどに大きい。いくら裏で動いていようと、それはぼくには得られない。

これから、この世界はどうなっていくのかしらと、どういう未来がくるのかしらと、少しばかりの不安とともに大きな期待を持ちながら。できればぼくは、この世界の未来の姿を、自分の目と耳で観て聴いていたいと思う。

出場されたみなさま、よい音楽とよい時間をありがとうございました。

ぜひ、それぞれの人生を。

ギターサマーコンサート 2014 に行ってきた

8 月 18 日、月曜日。おしごとを午前中で切り上げて、途中から聴きに行ってきた。会場は相模女子大学グリーンホール。

全国学校ギター合奏コンクールに出場する団体のうち、神奈川県内で活動する方々が集うこの演奏会。毎年コンクールのすこし前に開催されて、幹事は各校で持ち回り。

後ろの三団体しか聴けなかったので、特定のどこかについての言及は控えるけれど、センパイの背中を見て育ったところ、自分たち独自の世界を作っているところ、学校ごとの違いもさることながら、同じ学校のなかでも要素によっていろいろな色が見えて、ああほんとうにもう一年経ったんだなあと。

聴くところによると、ぼくが聴けなかった前半組の演奏も目を見張るものがあったようで。

一週間後のライバル同士で、本番一週間前にして手の内を明かしあう、とても刺激的な場。だからあしたからの一週間が、成長曲線でいえばいちばん伸びる期間。

次の日曜日、ミューザの舞台が、とても楽しみ。ぼくも袖でうるうるしたい。

宿河原のいつものお店、ポトスのオープンマイクに参加してきた

7 月 6 日、水曜日。

宿河原のいつものお店ことポトス ((ぼくが愛してやまない母校こと多摩高校の最寄り駅、宿河原駅の改札を出てすぐの洋食屋さんのこと。平和でおいしいごはんやさんであると同時に、地元のアー ティストのみなさまがよくライブ会場としてつかう場所でもある。ぼくもよく食べに行くし、ギター部の現役さんも OB 勢も重奏やら独奏やらで何度かお世話になっているところ))さんのオープンマイクの日 ((ポトスで月に数回行われる、いろいろな団体(もちろん個人でもよい)が八つくらい集まって、一団体 15 分くらいの枠でパフォーマンスを披露できる日のこと。音楽のひとが多いけれど、それに限らず、朗読とか、お笑いとか、なんでもありの自由な時間))、所属するバンド(?)の Rubinetto ((そのうち紹介できると思うので割愛するけど、簡単に言うと、アルトギターふたつとアコースティックギターひとつとアルトチェンバロギターひとつとバスギターひとつとベースウクレレひとつを使った、結成してまだ半年も経っていないインストゥルメンタルバンド)) として枠をひとつもらって、二曲だけ演奏してきた。

ギターを始めて 12 年目、これまでいろいろなステージに立ってきたつもりだけれど、どれもお客さんはぼくらのギターの音を聴く前提で来ている方々ばかりだった。演奏者とお客さんの間でそういう前提が共有されていると、弾くほうも弾きやすいし、聴くほうも聴きやすい。どちらにとってもよいことだけど、悪くいえば箱庭的温室的内輪感から抜けにくくなっている要因でもあった。

そんな中で今回、お客さんとしてぼくらの前に座っている数十名の方々のほとんどは、ぼくらが今日ここで演奏することを、ぼくらが弾き出すその瞬間まで知らなかった方々なわけで。何のネームバリュもない知名度ゼロの状態のぼくらが、いってしまえばたまたま同じ時間に同じ空間に居ただけの、わかりやすくいうと別にぼくらの音を聴きにきたわけではないお客さんを前に弾く。

これはぼくにとっては未体験の感覚で、なるほどこういう状態で弾くと弾く方も聴く方もこうなるのかと、ものすごく新鮮だった。個人的なミスはてんこもりだったので反省は大きいけれど、やっぱりひとの前で弾くことはどういう形態であれいろいろ見えて糧になるもので。こういうところでも闘えるようにならないといけない。

たった二曲だけだったけれど、たのしかった。お世辞にもギターの生音に音響的に向いているとは言えないハコではあるけれど、気張らずに演奏できる場所が近くにあることはすごく貴重だし、観客との距離が近くて生々しい反応がもらえるのはうれしいしたのしいしきもちがよい。

他の出演者の方ともいろいろお話もできたし、知らない曲を紹介してもらえたし、知らない世界も観られたし、ライドシンバルを菜箸で操る謎のおじさんとフルートのおねえさんともセッションもできて、盛りだくさんだった。

地元の方々に愛される空間は居心地がよい。今度は単独でなにかできたらいいなあと、そんなことを思った。

多摩高校、校舎にまつわるモノと記憶

ついに取り壊しが始まると、そう聴いた。

新校舎と旧校舎が、同窓会と称して卒業生に開放された 5 月 31 日。多摩高校、もうしばらく行くことはないだろうと思っていたぼくの母校へ、ぼくはもう一度行ってきた。

3 棟と 4 棟、取り壊しはここからはじまるらしい。

うろついてみてももうなにも残っていなくて、転がっているのは歴史の残骸で、漂っているのも歴史の残骸で、染み付いているのも歴史の残骸で、そして残骸にはもう未来がない。

歴史は記憶としてモノそれ自体に宿る。脳にはそれから漏れ出た残滓がこびりついて、それがぼくに思い出させるだけ。モノが消えれば歴史も記憶も消えて、ぼくにとっては残滓がすべてになる。そんな感覚。

それでも、時間はあたらしい歴史をつくってくれる。ぼくが何を思おうと何を感じようと何を考えようと、それとはまったく無関係に、彼らは彼らだけで新しい校舎で歴史をつくりながら生きていく。

好きに生きてほしいとか、楽しんでほしいとか、そう思うことすらもはや傲慢で暴慢で身勝手で、エゴイズムの塊を外野からどう投げつけたとしても、現実、彼らは勝手に生きていく。彼らの人生にぼくの出番はないし、もうあるべきですらない。

五十年の歴史は五十年かけないと見られない。それでも見たいなら、勝手に五十年生きればいい。

五十年後の学校沿革には、きっとたった一行、2014 年に校舎を建て替えたと、そう書かれるだけなのだろうけれど、その一行に詰め込まれた歴史の深さは、いまこのときを生きていないと見られないもので。

ぼくは多摩高校が好きだ。だから五十年後、ぼろぼろになったいまの新校舎を楽しそうな目で語る未来の卒業生に、ぼくは会ってみたいと思う。

相模原中等教育学校クラシックギター部の定期演奏会で、とんでもなく奇跡的な演奏を聴いてきた

先日の日曜日、4 月 20 日。

OB でもないのになにかと個人的に縁が多すぎるほどに多い、相模原中等教育学校クラシックギター部さんの定期演奏会。

相模大野高校から相模原中等教育学校に変わって六年目。中等学校の一期生が最上級生となる今年、初めて “中等生” のみによって開催される記念すべき演奏会。回数こそ高校のそれを受け継いで “第 26 回” と銘打ってはいるものの、その意味はほとんど “第 1 回” に等しい。

そんな演奏会、想像以上の演奏が聴けることを楽しみにしていたら、想像以上すぎるほどに想像以上すぎた。奇跡と思うことも厭わない、何の躊躇いもなくぼくはこれを手放しに賞賛できる、ぼくが聴いたのはそんな音だった。

いいデザイン

ぼくがギターアンサンブルの世界に触れてからまだ十数年しか経っていないけれど、それでもそこそこの数の部活の演奏を聴いてきたし、それと同時にたくさんの『お客さん』にも会ってきた。

この世界にかぎらずどの分野のどの演奏会でも、”部活” の演奏会であれば、一般のお客さんがよく言うのは、『かっこうよかった』『うまかった』『すごかった』『きれいだった』というだいたいが至極まっとうで前向きな評価。でもそれはまた同時に、だいたいが『まだ中学生なのに』とか『高校生にしては』とか、そういう暗黙のうちに共有される接頭辞があってのもので、平たく言えばそもそもの評価基準が低い。だからこそ当の学生からすれば、そういう色眼鏡を通さない “まっとうな評価” を得るのはひどく難しいことでもある。

純粋に、音楽としてどうなのか。ギターとしてどうなのか。ギター合奏としてどうなのか。

とはいうものの、組織のアイデンティティとして “部活” という絶対の事実はあるわけで、であれば “たのしいは正義” という側面があるのも事実なわけで、自分の中の評価軸をどこに持つか、どう前提を置くか、どういう姿勢で聴くか、演奏を聴くときはいつも悩ましいのだけれど、今回のこの演奏会は、いつも以上に部活だとか学生だとかそういう能書きのどうでもよすぎるどうでもよさが強烈に身に染みたものだった。

もちろん曲によって出来はばらばらではあったけれど、それでもあの演奏が “学生” である彼らによってつくられた現実を、ぼくは認めたくなかった。だからこそぼくは、あのさいこうの演奏が、ぼくの “友人たち” によってつくられた事実を全力で肯定したいし、心から歓迎して受け入れたい。そう思えることが、ぼくはたまらなくうれしい。

ほんとうに、よいものを観た。

とくに意味のない写真

指揮は言うまでもなく当たり前のようにぶっとんでいる。指揮だけぶっとんでいるのとか、演奏に指揮が追いついていないとか、そんなものはそこらじゅうに転がっているのだけれど、でも演奏があの指揮にがっつり食いついていけている世界が、こんな近くにあったというのは予想外。冗談抜きで奇跡的な完成度。

JGA 界隈の学生指揮者というと、指導陣のクセがうつって “JAEM 風” っぽく見えることがよくあるのだけれど、あの指揮者はもう自分のスタイルを確立して、完全に独立しているように見える。演奏者の食らいつきを余裕で受け流す瞬間、受け入れる瞬間。圧をかける瞬間。抜く瞬間。刺す瞬間、歩く瞬間、踊る瞬間。お互いにわかりきっているからこそできる、ほんとうにリアルタイムの、あの場のあの瞬間でしか作り得ない、一瞬の視線と音と、空気と呼吸だけで信頼できる仲間と意思を伝え合うやりとりのおもしろさ、たのしさ。そんな世界を全身で味わいつくそうとしている筋肉の動きが見える背中は、客席から見ているとほんとうにかっこういい。

そしてそういう指揮者に身をゆだねて、ギターを意のままに爆発させる、演奏者側の一期生。うすっぺらい感動物語とかみせかけばかりのうさんくさい絆とかいう概念があふれるこの時代に、ほんとうにきれいで純粋な信頼関係を見られた気がした。

ぷりぷりでした

至高だったのは、そんな一期生十人によるベートーヴェンのセリオーソ。指揮はなくて、全員が演奏者。自由に、ほんとうに自由に音楽をつくっていて、この演奏会でいちばんこれが好きだった。何にも縛られずに、その場の空気に全身を預けて、流れにのって弾く。お互いもはや目を合わせる必要もなさそうな、目をつぶっていても完璧に意思の疎通がはかれそうな、そんな濃密な空気。

色のまったくちがう細かな断片が散りばめられたあの曲を、よくもまああそこまで分析して解釈して、そしてその通りに表現しきってくれたものだと。厳しい音を弾ききった次の瞬間、まったく違う表情で踊り出てくるなめらかなアルトギターの音。なかなか聴けるものではない。数字だけ考えればパート間の人数比もあまりよくはなかったのだけれど、彼らにとってはこれこそが最高の比率のようで、実際、一分の隙もなく緻密に組み立てられていた印象。

ほんとうに好きで、ほんとうにたのしくて、ほんとうにこれがやりたくて、だからこそいまあそこに居て、いまああいう音づくりができているのだと。そう思わざるを得ない、おそろしくきれいな世界。

こちらはお昼

セリオーソだけでなくて、バルトークも至高だった。コンクール曲だけあって、はっきりと完成されている感がある。コンクールのときもそうだったけれど、コンクール以上に冒頭部で瞬時に惹きつけられたまま、ほんとうにあっという間に終わってしまった。

アラジンはちょうばかっぽい(ほめてる)演出とはうらはらに、しっかり丁寧にきれいだったのでよい意味ですごく裏切られたし、一年前は小学生だった二年生がタッチで身体をがんがんつかえていて衝撃だったし ((よい先輩のよい生き方をみて育ったからかしらね、やっぱり))。Surge III は、意図しているのかいないのかわからないけれど荒っぽさがすごく Surge っぽくて好きだったし ((多摩のより好きだった))、Surge V はコンクールのときよりあっさりしていて、曲調と相まってさわやかさがよく表れていたし ((竹内先生らしからぬさわやかさなので、もともとこってりねちねち弾くべきものではないって思ってる))。

反面、闘牛士が若干曲に負け気味で理想と現実が噛み合ってなかったりとか ((理想が先走って、現実が追い付けていない感じ))、指揮がちょっと猫背だったりとか ((肩を張って顎を引いたらよくなりそう))。車輪の歌がちょっとぐちゃぐちゃ感あったりとか ((これはちょっと残念だった…… メロディが聴こえない。ポップスよりクラシック曲のほうが得意そう))。アレグロがちょっときれいすぎて逆にもやっとしていたりとか ((あのテンポで回っていたのは衝撃だった。鋭い音と甘い音を使い分けて、はっきりきっぱりしたコントラストが出せるようになるともっとよさそう。個人的には原譜で sul G の指定があるところの sul G っぽさにはぜひこだわってほしいところ。もちろん、コンクールをめがけた曲だから、今の時期のこの段階であれこれいうべきものではないのだけれど))。弾く人数が少ないところではそもそも音量がホールに負けている感が否めなかったりとか ((前の方の席だったからよかったけど、後ろまで届いていたか怪しい気が。ソロとかとくに……。技術的な意味で楽器をもっとよく鳴らせば音量も稼げそうではある))。

いろいろあったけれど、総じて、とんでもない演奏会だったと思う。極端に言えば、”学生のギターアンサンブル” の奇跡的な完成形めいたものが見えた気がした、そんな演奏会だった。

だーさら

とはいえ、こうなると来年以降がものすごく、ほんとうにものすごく大変そう。

一期生は、一期生だからこそ、五年間ずっと先頭に立っていた、というか、立たざるを得なかったはず。”先輩” が居ないから、自分たちの前には誰もいなくて、すべてを自分たちで作らなければならなかったし、自分たちが先陣を切らなければならない責務があったはず。

一期生には圧倒的なカリスマ性がある。これはもうおそらく事実で、でもそれはもって生まれた部分以上に、五年間かけて培われた部分がひじょうに大きいと思っている。SSSCGC の創造主たる “神” 、あるいは “伝説” の一期生を、二期生は追いつくだけでなく追いこさないといけない。

一期生の部活に対する方法論は、きっとあの十人だからできたものだし、十人という人数だからこそのものでもありそう。五年間ずっと先頭に立っていた一期生と、四年間ずっと自分たちをひっぱってくれるひとがいた二期生のギャップは、たぶん想像以上に大きい。二期生は二期生で、じぶんたちの方法を模索して、確立しないといけない。

ふわふわのレバー

組織は、創設した代が抜けてからが本番。きっとおそろしく大変だけれど、それ以上におそろしくたのしい世界だから、やりたいようにやって、こらえながらも余裕をもってくぐりぬけてほしいと思う。彼らがコンクールまでどう生きて、定期演奏会までどう生きるのか、新しい伝説になることを、全力で期待したい。

彼らと関われて、ほんとうによかった。この演奏会を作り上げてくれたことが、ひとりの友人として、ぼくはとても誇らしい。

そしていつか、彼らと同じステージに立てたらいいなあと、そんなことを思っている。

多摩高校ギターアンサンブル部の定期演奏会で、自分の原点に触れてきた

多摩高校ギターアンサンブル部。誰が何と言おうと、何年経とうとぼくのギター活動の原点はここにある。

早いものでかれこれ付き合いも 12 年目。そんな部活の、第 48 回定期演奏会。4 月 5 日、土曜日のお話。これまでの定期演奏会ではほとんど裏にいたぼくだけれど、今回は 8 年ぶりくらいに客席から観賞。

しかしほんとうに、なんというか…… 大きくなったなあと。

ただのオンボロの県立高校の、それもただの部活の、65 人もいる部員全員が、自分だけのギターを持って、日本有数のホールに、1,000 人の観客を相手に堂々と立って、そこで音楽をつくっている事実。もはや当たり前になりつつあって麻痺しているけれど、はっきり言えば、常識的に考えてあり得ない、異常なことだと思う。それでも 3 時間の演奏会を走り切れてしまうのが、彼らのもつエネルギィのすごさなのだろうけれど。

おなじみのホール

おどろいたのが、学生指揮者の彼の驚異的な伸びっぷり。夏以来とんと観ていなかったのだけれど、自分の動きの正しさに不安を感じているかのような当時の姿勢はどこへやら。ある程度決められた動きの中でも、自分の表現欲が存分に身体に出ていたように見えて、清々しかった。

重奏も、とくに編曲、やればできるんだからこれまでももっとやればよかったのにと思えるレベル。編曲だけでなくて演奏もよいバランスで、とくにパートリーダさんたちのは完成度が高かった印象。パートリーダさんだけという編成は、低音勢が多すぎてそもそもバランスが悪いという根本的な問題を抱えているのだけれど、それを感じさせない丁寧な仕上がり。編曲もよかったのかな。

一年生の学年演奏も、この時期でこの仕上がりは想像以上。すごく丁寧だった。最終的にはもっと荒々しくうねりまくってくれるとよいと思うけれど、いまこの段階では、あとで自由に走り回れるだけの堅い基盤づくり、広い土地づくりをきっちり丁寧に進めるほうが大事。そういう意味で、コンクールに向けた途中経過としてはさいこうの状態だったと思えた。

おひる

とはいえどの曲も、このホールでこの演奏となると、ちょっと背伸びしている感も透けて見えてしまって。これだけの多い人数をうまくコントロールできていることは恐るべき統率力ではあるのだけれど、曲作り、表現の面では無難なところで落ち着けたなあというか、落ち着けざるを得なかったのかしらというか、そんな印象は否めない。

そうした中でもいろいろと、変わろうとした気配が感じられた点はうれしい。例えば妙なぴょこぴょこした動きがなくなってきたこと。例えば重奏の編曲を演奏者自身だけで仕上げるようになってきたこと。行動原理を他人の評価から自分の欲へとうつしつつあるようなもので、部活ってもともとそのほうが健全だよなあと思いながら観ていた。自由にしていいといわれて逆にどうすればいいのかわからない、みたいな迷いがまだあったのかもしれないけれど、手探りで動き出してみたその方向はたぶん間違っていないので、恐れずにこのままがんがん突き進んでほしいと思う。

なにかの “形” が先代から何の解説もなく遺されていたとしても、もともとその形が生まれたことには必ず意味がある。その意味を考えて、それが今のじぶんたちに本当に必要なのかを考えて、必要だったら取り込めばいいし、必要でなければ捨てればいい。文化とか伝統とかセンパイとか、いろいろと『なんとなく敬意を表して尊重しなければければならなそうなもの』って世の中にはたくさんあるけれど、その実、今の自分にとってそれが必ずしも合理的な最適解かどうかといわれたら、だいたいそんなことはなくて、ほとんどが不合理だし理不尽だし意味不明だし、その程度のものでしかない。

背伸びも大事だけど、身の丈に合っていることも大事。イキオイだけで登れる高さには限界がある。今までどうだったかはひとまず置いておいて、今の自分にとっていちばんふさわしいのはどれなのか、 地に足をつけて、先を見据えて、一歩一歩踏み固めながら確実に歩を進めるのも、イキオイ以上の最上の価値を生み出すひとつの方法論。

ゆうはん

思うに、前回、56 期の定期演奏会が、それまでの十年近くの流れの “完成系” であり、終着点であり、ひとつの時代の “理想的な終焉” だった。そして 57 期は、その血を継ぎついでいながらもたぶんまったく新しい流れの始まりの代で、きっと進化や発展のきっかけになる代であるように思う。

変化の片鱗はこの演奏会でも観てとれて、だからぼくはさらにこの血を受け継いだ 58 期が、57 期のつくった変化のきっかけを糧に、これからぼくの知らないあたらしいギターアンサンブル部をつくりあげてくれる気がしていて、それをすごく楽しみにしている。

帰り道

この部活にぼくはぼくなりの正義をもって接してきたし、ぼくなりの哲学をもって接してきたけれど、そうした結果、身の回りの変化とともにそろそろ引こうとこっそり思ったのが去年の話。だから今年は、ぼくの知っていること持っていることを、知るべきひと持つべきひとに渡す、そんな自分なりの移行期間だった。

OB さんにとっては、これから起きる変化で部活が “自分の常識と違う” 世界になっていくかもしれないけれど、その変化は全力で受け入れて、現役さんが進みたがっている方向に進めるような、お手伝いするならそういうものを、変化に沿った力添えを。尊重すべきであり尊重されるべき意向は、OB たる自分のものではなく、現役さんのそれ。

そこで求められる “お手伝い” は、もしかしたら “なにも手を出さないこと” かもしれないけれど、もしそうなったらそれはそれで、それはやっぱり現実。部活は現役さんのもので、演奏会は現役さんのもので、時間は現役さんのもので、なにもかも現役さんのもので、それはやっぱり大原則で、部活なんてなにひとつ OB のものではないのだと、部活における “神” はどこまでも現役さんなのだと、ぼくはそういう認識でいる。時間は巻き戻すものではなく、進めるもので、過去は過去、今は今。

そろそろおしまい

ぼくのこういう考え方も、ぼくにとってのぼくだけの正義であって、ぼくはぼくの知っていることしか知らないし、ぼくはぼくの考えられることしか考えられないから、何が正しいかとか、この先どうなるかなんて、なにもわからないし知らないのだけれど。

それでもひとりのお客さんとして、ぼくの愛してやまないこの部活が、新時代をどう生きてどう進むのか。大いに期待できそうで、とても楽しみ。

5 年後 10 年後、そのときぼくはどこでなにをしているのか想像もつかないけれど、人生のすべてをかけて人生の楽しさを心の底から味わいつくしているような、そんな現役さんの演奏会をまた観にいけたらいいなあと思うのでした。

北杜高校ギター部のスプリングコンサートで、日本でいちばんの合奏を聴いてきた

3 月 30 日、日曜日。山梨県立北杜高校さんのギター部のスプリングコンサートに行ってきた。

初めて行った一年前につづいて、今回で二回目。去年はちまっと 4 人での参加だったけど、今回はちょっと幅をひろげて、ぼく以外に、中学生ひとり、高校生ふたり、大学生ひとり、浪人生ひとり、社会人ひとりの、全部で 7 人。ステップワゴンを借りて、みんなでわいわい遠足なノリで。

朝 9 時に集まって、車に乗り込んで、わちゃわちゃしながら 2 時間の道程。調布から中央自動車道を下って、甲府昭和で降りる。去年と同じお店で去年と同じようにみんなでほうとうととりもつ煮をたべたあと、さらに 30 分ほど車で進んで会場の北杜市オオムラサキセンターへ。集合がはやすぎたかなあとも思ったけど、いつも以上にのんびり運転してお昼をのんびりとったので、結果的にはちょうどよかった。

いちねんぶり

地域とともに在ること、そして地元の住民の方々に愛されていること、そういうことをひしひしと感じられるこのあたたかな空気の会場に、ああまた来られたなあよかったなあと、二回目にしてこうもうれしく思ってしまうのは、たぶん同行の友人と同じように、ぼくももはやただのファンなんだろうなあと。座布団に座ってギターをのんびりと聴く時間はとても贅沢。よいものです。

ベタ褒め気味に入ったけれど、実際その実力は折り紙つき。ここ何年も惜しくも最優秀賞を逃していた全国学校ギター合奏コンクールで、前回ついに日本一に輝いたこともあり。去年よりもお客さんが多かったような気もした。

おひる

北杜さん、人前で演奏する機会が、他校のギター部よりもおそらく圧倒的に多い。月に数回以上、それこそ毎週のようにどこかでなにかを弾いている印象がある。

そういう経験が多いのはたぶん北杜さんの圧倒的な武器だし強みだし、演奏からもその “慣れ” が見てわかるくらいには、実際すごくよく作用している。緊張していないわけではないのだけれど、固くなりすぎることもなく、いつもどおりの柔らかい身体で音を作れていそうな、そんな感触がある。

今回の演奏会では、低音勢の安定感がきわだっていた。すこしやんちゃで主張しすぎている感もあったけれど、不動の基盤があることで、上は上で安心してのびのびとうたえて音をつくれるわけで、とてもきもちがよさそう。重奏のバランス感覚も、さいこうによかった。とくに二団体目の、それも前半。あとで話を聴いたら重奏の対外的なお披露目はこの日が初めてだったそうで。基礎力の違いなのか何なのか。

会場案内

一般的に、アルトギターは音質にとくべつに気を遣わないとカシャカシャしてきたない音が出る。よくある学生のアンサンブルは、カシャカシャを大人数で弾いて噪音を楽音で打ち消して『なんとなくきれいっぽくきこえる』というところで終わってしまうのだけれど、対して北杜さんのアルトギターは相変わらずぽろんぽろんときれいに丸い音で、ストレスなく耳に届く。

数にごまかされているのかと思いきや、重奏やソロなどひとりふたりで弾いているところも出音がきれいなので、個人差はあるものの根本的にきれいっぽい。

フォームも手の使い方もきれいで、アルペジオでも右手の安定感がくずれないのが学生らしからぬクオリティ。重奏三団体目でアルトのセカンドを弾いていた彼(顧問の先生のお見送りのときにアルトを担当していた彼)とか。たまたま目に入っただけかもしれないけど、ああいう奏者が弊団体に欲しいなあと。

そして演歌! 初めて聴いたけどおもしろい。津軽海峡冬景色、爆音の低音勢がうまい『荒さ』になってよい演歌っぽさ。ただその反面、プライムより上が『きれいすぎ』てしまって、演歌にしてはお上品すぎる気もした。メロディを生かしてギターならではの曲として作るのか、こぶしの効いたもともとの演歌らしさを求めるのか、方向付けがむずかしそうだなあと。しかしつきつめたら新しい世界に行けそう。よい編曲だったのでぜひいろいろなところで弾いてほしいところ。

最後、A 先生が『生徒主体で、やりたい曲を、やりたい編成でやる』とお話していたけれど、実際その通りの理想的な活動ができていそうで、うらやましいかぎり。

反省会の様子です

さて、演奏とは関係ないところで、今回初めてわかったのは、中学生高校生を遠方に連れて行こうとするには、意外と『保護者の許可』という壁が高いということ。

保護者の許可がおりない事例は、本人の意思と時間の余裕とはまったく無関係に発生するうえに、ぼくは保護者と直接話すわけにもいかない(話せても意味がない)のでつらいところ。 保護者がどのような理由で許可しなかったのかを聴けていないので、杞憂かもしれないけれど。

もっとも、保護者側からすれば、中学生の息子や娘が十以上も歳の離れた謎の社会人の車に何時間も乗って遠くに遊びに行くなんて、ふつうに考えたらそれは心配だろうし、弁解しようがないのも事実。こういうときに『講師』っていう肩書きは有効なんだなあって、ちょっと思った。ぼくは講師ではないので、もちろんそれは使えないけれど。

幻のカルビは売り切れだった

北杜市、ぼくら OB 勢は車が動かせるし定期演奏会の練習もないし金銭的な余裕もあるので時間さえゆるせば気軽に行けるところではあるけれど、本当はぼくはぼくらを起点にして、OB 勢よりも現役同士の交流につなげたいとものすごく思っている。

しかし物理的な距離はいかんともしがたいのが現実で、中高生は車は運転できないし電車で行くにしても金銭的な負荷はかかるし、時期的に定期演奏会の練習があるし、そして時間と意思はあっても保護者の理解がないと、はるばる行くことはなかなかかなわない。

『ふだん行かないところ』で『ふだん聴けない演奏』を聴くって、さいこうに刺激的でさいこうの勉強だと思う。今回は数人だけではあるものの念願かなって現役さんを連れて行けたので、この流れでそのうちミニバス旅行的な公式イベントに発展しないかなあとか、実は考えているのだけれど。

なにはともあれ、次のコンクール。楽しみです。また舞台裏で会いましょう。

引地台中学校クラシックギター部の定期演奏会に行ってきた

JGA コンクールでおなじみの中学校、大和市立の引地台中学校さんのギター部。

コンクールの演奏はもう十年以上前から何度も聴いていたけど、定期演奏会は実は行ったことがなかった。スケジュールの調整がついたので初参加。3 月 29 日、土曜日のお話。

いりぐち

コンクールでは出場している中学校の中でもばつぐんの演奏を披露してくれるこの引地台さん。毎年のように舞台袖で聴いていても、年々めきめきと腕を上げている感があって、ここ数年は聴くたびに引地台さんてこんなにレベル高かったっけなあと思わされる、そんな具合。

今回の定期演奏会は、コンクールで演奏の核になっていた三年生が抜けたあとでの開催。だから当然ながら全体の演奏はコンクールのときほどのレベルではなかったけれど、部全体の “成長過程” がよくみえて、次のコンクールがひじょうに楽しみになるような、そんな演奏会だった。

“松明の火” は去年のコンクールにむけて弾き込んだだけあって、今回のプログラムの中ではいちばん聴き応えがあった。身体が曲を覚えているのかなと、そうなるとあとは勢いで押せるし、そしてこの曲の場合はそういう弾き方がよく合う。

“松明” の前の曲、講師の O 氏が指揮をふる今年のメイン曲らしい BWV 542、通称 “大フーガ” は、まだだいぶたどたどしかったけれど、これが次のコンクールでは “松明” のレベル以上の演奏になることはまず間違いがないわけで。いいですね、先が楽しみ。

この O 氏、4 小節のレッスンに 2 時間かけたとかかけないとか、細部へのこだわりがひじょうにつよい先生。これまでの弾きっぷりや弾けっぷりをみると、引地台さんは、荒く全体を短時間で作ってからあとで細部に取り組む、のではなくて、最初から時間をかけてじっくりゆっくりじわじわと錬成していく、そういう進め方のほうが伸びるタイプなのかなあと、そんな感があった。そうすると O 氏のじわじわこだわり型の教育方針(?)との相性もよさそうで、これはぜひ何百時間でもかけて至高の大フーガにしていただきたいところ。

そして一年生の学年合奏が思いのほかすてきな仕上がり。曲がよいのか編曲がよいのかわからないけれど、『こう弾こう』という意思があると自然と合ってくる。大フーガは複雑な曲だけれど、徐々に慣れていって、こういう “わかりやすいポップス” と同じ姿勢で取り組めるようになると、部全体にとってもつよいエネルギィになりそうだなと。

反面、重奏は全体的にちょっと危なっかしかった……。

手作り感!

とはいえ、中学生の部活となると『たのしいは正義』みたいなところがあって、演奏者が楽しければそれだけで勝ち! 合格! っていう側面も多分にある。

部活というのはおもしろいもので、基本的なモチベーションは『楽しいから』というただそれだけの、といいつつ実は “最強” の欲求が源泉。だからそういう組織がつくった成果に対する評価は、上手か下手かよりも、成績や品質よりも、なんだかんだいって単なる当人たち自身の “満足度” がもっとも重要なのではないかしら、みたいなことを考えている。

現実問題、中学生というのはつい最近まで小学生だった方々であるわけで、体格やら筋力やらの身体の発達が成人と同じ楽器を扱えるところまで行きついていない、ということもありそう。

それでもこれだけの人数が好きであつまって楽しそうに活動しているというのは、ウマいヘタ関係なく、それだけでやっぱり “最強” なんだなあと、そんな感想。

8 月、コンクールの舞台、MUZA 川崎のホールで会えることを楽しみにしています。

ぼくが 2013 年に聴いたり観たり出たり手伝ったりした演奏会まとめ

いろいろいった気になってるけどどれだけ行ったんだっけね、というまとめ。まとめたら思っていたより行っていたのでうれしい。

来年も同じくらいかそれ以上には行きたいけどどうなるかしら。

横浜みなとみらい大ホール

1 月 20 日(日)- 原善伸デビュー 40 周年記念ギターリサイタル@ヤマハホール

先生にお誘いを受けて聴きに。歴史を感じる演奏。ベテランがベテランたる理由はやはりあるのだと思うことしきり。

2 月 24 日(日)- M’s class ピアノ発表会@大倉山記念館

音楽の才能があふれすぎている高校生の友人がピアノの発表会に出るというので聴きに行ってきた。ぎたさんのぱとり勢もゲストで登場。ピアノの弾きっぷりがかっこよかった。

2 月 27 日(水)- 横浜国立大学音楽専門領域卒業演奏会@横浜みなとみらい小ホール

作曲ゼミの友人が卒業制作で書いたギター五重奏曲の演奏者として参加。あと録音やさん。縁ってのはおもしろいものですね。よい曲だったしもうひとりの作曲ゼミの子の作品もすごくイケてた。平日だったから会社休んだ。

3 月 31 日(日)- 北杜高校ギター部スプリングコンサート@北杜市オオムラサキセンター

ずっと行きたかった北杜さんの演奏会。ようやく行けてほんとうに楽しかった。いろいろとごあいさつもできて、車を出して遠出した以上の価値はあった。

4 月 4 日(木)- 多摩高校ギターアンサンブル部定期演奏会@横浜みなとみらい大ホール

かつて自分がいた部活の定期演奏会。会社を休んで朝から運転手兼写真撮影担当兼録音担当。毎年の楽しみのひとつ。来年からはお客さん?

5 月 13 日(日)- ギターフェスティバル@代々木上原けやきホール

長谷部先生の門下生の方々の演奏会。ゲストのクアトロ・パロスさんを聴きに。さすがのクオリティ、安心して楽しく聴ける四重奏。

6 月 8 日(土)- 東京農業大学&専修大学ジョイントコンサート@多摩市民館

フォロワさんが出るとのことだったので聴きに行ってきた。ザ☆大学のノリ! みたいな演奏会。たのしそうだった。ちょっと形式をだいじにしすぎな感もあって、もっと自由にしていいのになあとは思った。

6 月 9 日(日)- NHK 交響楽団定期演奏会@NHK ホール

いわずもがな。聴きに行きました。惑星さいこうです!

6 月 12 日(水)- サントリーホール室内楽アカデミーゲストコンサート@サントリーホールブルーローズ

プロアマ混在でいろいろなひとがいろいろ弾く室内楽の演奏会を聴きに。アマチュアといっても音大生なんだけど、それにしてもプロとの差が……! はからずもベテランと若手の聴き比べになってしまった感。

7 月 13 日(土)- 洗足学園音楽大学 NATSUON! 2013 クラシックギターコース演奏会@洗足学園音楽大学

録音担当兼お客さんとして。音大生によるギターアンサンブルというめずらしい演奏会。各人のポテンシャルはすごかったけど、楽器にも新しい先生にも慣れていない感が出てて、ちょっと新鮮。

7 月 13 日(土)- ソニー吹奏楽団定期演奏会@大田区民ホールアプリコ大ホール

聴きに。上の洗足さんと同じ日だったので、朝は洗足で録音の準備して、こっちに移動して数十分だけ聴いてまた洗足に戻る、というスケジュールだった。エヴァンゲリオンを聴けたので満足。吹奏楽もかっこいいですね。

8 月 25 日(日)- 全国学校ギター合奏コンクール@横浜みなとみらい大ホール

毎年の楽しみのひとつ。例年どおりに録音やさん兼ステージ関連いろいろスタッフとして参加。出場校の中高生にも知人友人が増えてきたので、どの学校も他人の気がしない。袖でヘッドホン越しに音を聴くのが毎年恒例。来年のぼくはどういう形で関わるのかしら?

9 月 7 日(土)- 多摩高校ギターアンサンブル部文化祭コンサート@多摩高校

演奏を聴きに。引退した 3 年生やそれより上の OB 勢ともわちゃわちゃできるよい機会。たのしい。

9 月 22 日(日)- 相模原中等教育学校クラシックギター部オータムコンサート

演奏を聴きに。実は構内に入るの初めてだった。ここでまたお知り合いが増えました。『もしかしてくろいさんですか!』『はい!』がたくさん。うれしい。

10 月 6 日(日)- 全日本ギターコンクール合奏部門学校の部@江戸川区総合文化センター

NKG 主催。昔は行くとアウェイ感すごかったし社会科見学感あったけど、最近は平気な顔をしてこっそり客席におさまっている。目指す方向がいろいろちがっていておもしろい。行くといろいろ考えてしまいますね。そして語り合う夜の Togetter ができあがる。

10 月 6 日(日)- アコースティックギターサミット 2013@めぐろパーシモンホール

今年からはじまったイベントらしい。誘われたのでお客さんとして行ってきた。昼間からいろいろワークショップなど開かれるもよう。夜のコンサートメインでいった。普段絶対いっしょに並ばないであろうメンバが順に演奏する感じ、贅沢感はんぱない。来年も行きたい。

10 月 13 日(日)- アンサンブル・ジターノオータムコンサート@武蔵ホール

フォロワさんにお久しぶりに会いに行きがてら聴きに。かわいいきれいなホールだった。少人数でめいっぱい楽しむ感覚、観ていてたのしい。ぼくらのコンサートにも何名か来ていただけたのでうれしいです。

10 月 14 日(月)- 内本信裕ギターリサイタル@和光大学ポプリホール鶴川

高校の先輩のデビューコンサート。ドイツでギターを学んでいるだけあってさすがの安定感。きっちりキメてきてきもちがよい。二重奏も三重奏もたのしかった。

10 月 19 日(土)- イ・ムジチ合奏団@サントリーホール大ホール

もう何回目かわからないけど何回聴いてもさいこうだ!! 生音とはかくあるべき、というのを強烈に魅せつけてくれる。コンサートマスタが完全にアンセルミさんになって、また雰囲気が変わってきてイケイケ感あって楽しいし、アンコールの赤とんぼはもうなんていうかほんとうに全身にしみわたってすばらしい。ああいう音が出したいなあと心の底から思える音。お金かかるけどまた日本に来たらまた行く。

10 月 27 日(日)- 日本ギター合奏フェスティバル@練馬文化センター小ホール

クアトロ・パロスさんと UnisOno さんを聴きに。といいつつほかにもいろいろオイシイ合奏団があって見た目にもおもしろい。加藤先生の団体に惹かれた。この日の夜は多摩・相模大野・所沢・芝各校の OB やら元講師やらが入りまじった飲み会になっておもしろかった。

10 月 28 日(月)- クアトロ・パロスジョイントコンサート@GG サロン

クアトロ・パロスさん、東京 GE さん、前日気になったザ・ステアさんを聴きに会社帰りに寄った。オンゲンカーさんは初見だったけど、いちばん右の彼がイケてた。2 曲目かっこよかった。ゲストのオルガさんは私服感がつよくて、中島先生のほうが目立ってたよね……? パロスさんが演奏した佐藤弘和さん作曲の雲の詩って曲がさいこうでした。ああいう情景描写系は大好物です(三千院とか)。

11 月 3 日(日)- JAEM 秋期ギター発表会@和光大学ポプリホール鶴川

普段いっしょに合奏をしている方々や関係各位の、普段とはちがった一面が観られる場所。お客さんとしてお邪魔しました。レベル感いろいろだったけど音はよい。ぼくも出ようかなとか。

12 月 1 日(日)- 芝学園ギター部ウィンターコンサート@芝学園

これも前からいちど行ってみたかった演奏会。東京タワーのふもとまで聴きに。昔聴いたときの強烈なインパクトはやや薄れた印象。ちょっとおとなしくなった? ノリはいいし観ていて楽しいけど、魅せどころってののつくりかたがむずかしいそうだなと。そして音響面がやっぱり場所柄きびしい……。自分の学校の中に演奏会が “できてしまう” 施設があると外に出にくくなるってのはあるのかもだけど、響きのいいホールでやるとたぶんもっと音よくなるんじゃないかしら、と。でもなんていうか、心の底から楽しんでます感が出ててすごくよい。たのしい。

12 月 8 日(日)- 洗足学園音楽大学 FUYUON! 2013 クラシックギターコース演奏会@洗足学園音楽大学

夏につづけて冬の演奏会を聴きに。夏のころの “不慣れ感” はだいぶ薄れて合奏ならではの音のつくりかたにもなれてきたのか、安定感があった。もう少し物理的に高音系の楽器が増えるとバランス取れそう。この日の竹内先生の Surge III 全楽章は日本初演。Surge V で落ち着きを見せた “竹内節” がややおとなしめながらも復活していて、よい曲だった。

12 月 15 日(日)- 新日本ギターアンサンブル ギタークリスマスコンサート 2013@和光大学ポプリホール鶴川

出演。ひたすらに楽しかった。詳細は 前のエントリ で。

12 月 21 日(土)- 新日本ギターアンサンブル ギタークリスマスコンサート 2013 シルバーマウンテンオープニングコンサート@洗足学園音楽大学

出演。攻略しがいのありそうな会場。大学側のスタッフさんが大学として公式に録画やら録音やらしてくれていて、そのうち YouTube に全編 1080p で載るらしい。うれしいやらこわいやら。

以上!

抜けがあるかもしれないけど、今のところぜんぶで 25 でした。平均でひと月に 2 回、なかなか充実してた感があってよいかんじ。行ったら行っただけ世界も視野も広がるし、純粋に楽しいし、そしていろいろお勉強にもなる。弾き方、音のつくり方。ギターにかぎらず、ピアノだって弦楽だって吹奏楽なんだってギターに活かせる要素ってあるはずだし。

来年もぶいぶいいろいろなところに行きたいので、こんなのあるよこんなのやるよ、あんなのあるらしいよ、その他もろもろお気軽にお声かけください。万難排してどこでも行きます。