いちむじんの結成十周年記念コンサートに行ってきた

ぼくがいちむじんさんを知ったのは、2007 年のこと。

弊団体の演奏会のゲスト として来ていただいて、そこで いっしょにギターを弾いて から、もう 6 年以上が経ったようで。早いものですね。

そのときは舞台袖で、あるいは舞台上で、おふたりの音に触れました。いいなあかっこういいなあきれいだなあと、ぽわぽわと聴いていた記憶があります。

当時はまだピックアップシステムを使うこともなく、立ってギターを弾くこともなく、純然たる “クラシックギターの二重奏” というスタイルでした。

そんなおふたりの、結成十周年記念コンサートに行ってきました。3 月 7 日の金曜日、会場は東京芸術劇場の小ホール。

ホールに入って、ステージ上にスピーカが立っているのとシールドが椅子に掛けられているのと足台が無いのとをみて、おお、”これ系” になったのか、と思いながら着席。前から二列目のど真ん中でした。よい席。

会社を早退して腹ごしらえしてから会場へ

『最近彼らは立って弾く』という事前情報を得ていたのである程度予想はしていたものの、繰り広げられたのは、かつてのクラシッククラシックした感じとはひと味もふた味もちがう世界。

音の出し方とか PA の使い方とか、聴いていてぼくの中でイメージが重なったのは意外にも Rodrigo y Gabriela さんでした。あの方々から荒々しさをぐっと減らして、スピード感はそのままにクラシックギタリスト的な丁寧さと真面目さをうまい具合に混ぜ込んだような、そんな感覚。曲調が激しくても音の作りは丁寧だったし、しっとりなところのうたいかたはクラシックギタリストだけあってばつぐんにさすがな感じ。

根はクラシックだから落ち着いて聴けるけどでも音楽は激しい、みたいな、おもしろいおとしどころのハイブリッドな音楽でかっこうよかったです。

お花がおいてありました

しかしやはりクラシックギターの PA はむずかしそうですね……。とくにピックアップを使うとなるとなおさら。

いちむじんさんオリジナルの激しい曲では PA はよく合っていて、生音では出せない迫力でとてもよかった ((うっすらハウり気味だったのがすこし気になったけど……))のだけれど、しっとりした曲とか “クラシックギター” 用の曲とか、これは生音で聴きたかったなあと思うものもちらほらありました。RUI とかとくに……!

ちらし

クラシックギターの二重奏って、生音で緻密に組み立てる響きとか、息を飲むような緊張感とか、そういう音がだいすきなのだけれど、PA ありでがっつりアツいエネルギィをぶつけて弾くのもオイシイんだなあって思った演奏会でした。

立って弾くのに慣れきっていないのかもと思えるシーンもちょくちょくありましたが、”いちむじん” スタイル、これからが楽しみです。生音でコテコテのクラシックな二重奏コンサートをやるというなら、それはそれで涎を垂らして行きますが!

そして運のよいことにこんな展開になりました。

到着お待ちしています!!!

全国職場バンドフェスティバルで、さいこうにイケてる吹奏楽を聴いてきた

全国職場バンドフェスティバルというイベントに誘われたので行ってきた。3 月 2 日の日曜日、会場はサントリーホールでした。一般人が上に乗れる機会はそうそうない本気で日本有数のホールですが、職場で吹奏楽をやっていれば乗れるなんてずるいと思います!

プログラム

白状すると、吹奏楽って、出身中学やら出身高校の部活のものくらいしか知らなかったのです。それ以外にもたぶん聴いてるはずなんだけど記憶に残っていなくて。で、吹奏楽部の演奏って、演奏中に立ったり座ったりする “吹奏楽っぽいアレ” とかけっこう “やらされてる感” があって、いまいちイケてないなーっていう印象、偏見が抜けなかったのだけれど。

いやはや、なんていうかもうごめんなさいです。吹奏楽ってほんとうはこういうものだったのね。ここまでアツい音楽だとは思っていなかった。うまいところは卑怯なまでにうまい。さいこうでした。繊細な表現も迫力のあるダイナミクスもリズム感も、音づくりも。

全国職場バンドフェスティバルというのは、全国で活動する職場バンド、つまるところ企業の中にある吹奏楽部みたいなの集まって、合同で演奏会をしましょう、というもの。今回で 3 回目? らしく、まだ歴史は浅いもよう。それでもバターサンドの六花亭さんからトヨタさん、NEC さん、ソニーさん、天下のヤマハさんまで 11 団体も集まって、たっぷり 4 時間も演奏があったので、ひじょうにボリューミィでした。顔ぶれをみるかぎり、来年以降もながく続いていくイベントになるんだろうと思います。

何回もきてるけど来るたびに最高のホールだと思う

そんなわけで、ぼくは吹奏楽に関してはドがつくほどの素人だったので、プログラムを見ても有名どころ以外は知らないのばかりだったのだけれど。最初の団体からわりと『あれ、吹奏楽ってこんなイケてるものだったんだっけ』みたいな戸惑い感あふれ出る感じでした。ほんとうはかっこうよいものなんですね、吹奏楽。

107 人でステージに乗った曲もあって、これが圧倒的なダイナミクスと派手な指揮でさいこうのパフォーマンスでした。指揮が派手でも演奏がしょぼしょぼだとひじょうに滑稽で嫌味な舞台になる ((そんな演奏はギター合奏でいくつも観てきたのよね))ものだけれど、演奏ががっつり指揮に合わせて派手にやってくれていたので、相乗効果ですごく濃密でエネルギッシュな空間になっていました。

吹奏楽における指揮者の役割、演奏者や音楽との関係、距離感は、いわゆるオーケストラの指揮のような “崇高な” ものとは、すこしちがうようです。もっと距離が近くて、即時性があって、ほどよいパフォーマンスであること。いいものですね。聴衆側に音楽が寄ってくる心地よい感覚があります。

吹奏楽って、コテコテのクラシックでもなく、ポップポップしているわけでもなく、ほどよくフォーマルでほどよくカジュアルなので、”音楽” の中でもおもしろい位置にいると思います。オーケストラとも軽音楽ともちがう、いいとこどりしたオイシイ位置とでもいうか。

この “ほどよくフォーマルでほどよくカジュアル” な居心地のよさが演奏から感じられると、吹奏楽っていうものがとたんに親しみやすい世界になるのかもしれないですね。中学や高校の吹奏楽は、たぶんこの辺の空気が全然なくて、ただ音を出しているだけだったりがちがちに緊張しているだけだったりで、それでいて立ったり座ったり右むいたり左むいたりスイングしたりの “ノッてる演技” をしようとしちゃうものだからよくなかったのかなと。この違和感のおかげで楽しめなくて苦手だったのかなと、そんなことを考えた。昔の感覚だからあんまり覚えてないけど。

いりぐち

“ダンス” で攻めてきたソニーさんのワルツは、とてもワルツワルツしていてすてきでした。ワルツの三拍子をワルツらしくうたいあげるのって難しいのよね。ズンチャッチャ、とよくいわれるけれど、この『ズンチャッチャ』にこめられた一拍めと二拍めと三拍めの感覚の違いって、おそろしく深いものであるようで。頭でわかるのではなくて、ワルツだけにほんとうに身体でわからないと演奏できないと思う。同じ曲をギター合奏でいままさに練習中なこともあって、はからずもひじょうによいおべんきょうになりました。こううたえばいいのね、ぼくもがんばります。

極めつけは大トリのヤマハさんです。パンフレットには『なかには自身で制作した楽器を演奏する団員もいる』とか書いてあるし、MC にインタビューを受けていた指揮の須川先生も『8 割くらいが楽器の設計か研究か制作をしているひと』みたいなことをお話されていたので、はじまる前からもはや卑怯というかチート感はんぱなかったのだけれど、演奏もやっぱり卑怯なまでにはんぱなかった。

一曲目はもともと分かりにくい曲だったこともあってふわっと終わってしまった印象があって、ヤマハさんでもこんなもんなのかなーって感想をもったのだけれど。

二曲目の Sing Sing Sing の、冒頭のパーカッションが入った瞬間、『あ、これ本気ですごいのくる』と直感で確信して、そこからテンションあがりっぱなし。そして事実、本気ですごかった。

おひるの様子です

Sing Sing Sing という曲自体、じつはあまり好きではなかったのです。というのも、ぼくが高校生のときにギターで弾いたのがひじょうにつまらなかった(ごめんなさい)から。吹奏楽の定番なのは知っていたけれど、だからプログラムをみたときもさいしょはこんな定番曲じゃなくてもっとなんかイイやつやってほしいなーみたいなことを思ったわけですよ。

が、けっきょく、ぼくの中にある Sing Sing Sing 像がスーパーしょぼしょぼだっただけのようでした。だからヤマハさんの聴いて、マジかよこんなイケてる曲だったのかよこれ、ぼくらの高校のときのアレなんだったんだよ、時間かえしてよクソが、みたいなそんなかんじ。もう実はわりとこっそりひそかに涙目になりながら聴いてた。かっこよかった。プリマさんごめんなさい。

うまく言えないけど、”音楽” による “表現” とはこうあるべきだ、みたいなお手本を見せつけられた感覚でした。まじめな部分も、あそぶ部分も、隅から隅まで余すことなく、演奏者ひとりひとりの全身から “表現欲” みたいなものがむわんむわんと押し寄せてきた感じ。ほんとうに、ああいう演奏がぼくもしたいと、切に。

ドラムさん、圧巻でしたね。何をしてももうあのひとなら許されるよな、みたいな圧倒的なパフォーマでした。高ぶりすぎてジャンプしちゃうとかかっこいいです。惚れた。

おしゃれです

音楽をやっているひとの『他団体の演奏会に出かける』という行為には、いくつか種類があります。自分がやっている音楽と同じ分野の演奏会には比較的気軽に足を運ぶ気になるけれど、あんまり関係のない分野の演奏会って、なかなかいく気になれないとか、よくありますよね。

でもやっぱりこう、自分のと同じ分野かなんていう狭い枠で終わらないで、”音楽” っていう枠でとらえてあっちこっち行きまくりたいし行きまくるべきだと思いました。聴いただけ世界は広がるし、広がっただけこれまで自分が観ていた世界の狭さにも気がつくものです。自分の演奏が現状のままでよいならどうでもよいのだけれど、そうでなくてもっといろいろな音が出せるようになりたいのであれば、いろいろな音は聴かなきゃです。自分が井の中のなんとやらであることを自覚するべきだし、それ以前にまずは自分がただの蛙である可能性を少しでも考えないとです。

ここ何年かいろいろと足を運ぶようになってるけど、まだまだいろいろあるなーと、そんなことを思った日曜日でした。よい日でした。来年も行きたいです。

新堀芸術学院の春期定期公演で、ギター合奏と PA について考えた

ちょっと前の話になるけれど、2 月 11 日に、専門学校国際新堀芸術学院に所属する在校生の有志で行われる定期公演 ((“有志” という概念に “定期” はあまり似合わない気がしたけど))に行ってきました。

本家たる新堀ギターフィルハーモニーオーケストラ(N フィル)とか新堀ギターアンサンブル(NE)の公演には何度となく足を運んでいるけれど、新堀学院の学生さんたちの演奏を聴く(観る)のは初めての機会。”学生版新堀” という意味では NKG のコンクールでの演奏が近いのだろうけれど、あれは新堀グループの先生方が指導してるってだけで、新堀学院の学生というわけではないですし。

さて、新堀さんところの学生ということは、将来的に N フィルなり NE なりを(少なからず)目指している方々である(たぶん……)わけで、そういう意味ではこれは N フィルなり NE なりの “あの” 演奏が作られる “途中経過” が観られる演奏会でもあるわけです。学生が “あれ” を目指したときにどうなるのかというのは NKG のコンクールで観てはいたものの、はてさて本家でがっつり学んでいるとどうなるのかなあと楽しみなのでありました。

が。

結局、PA ががっかり品質すぎて、演奏云々以前のところで耳が止まってしまいました。

このエントリは、そんなお話です。ギター合奏と PA について。

パンフレット

エレキギターに代表される “電気的な増幅ありき” の楽器とちがって、クラシックギターはそれ単体で電気的な増幅なく音楽を作れる楽器です ((もちろんどちらが優れているという話ではなく、そういう楽器であるというだけの話です、念のため))。だからクラシックギターを “クラシックギター” として使う以上、本来は PA が無くても音楽として “完成” させられるはずだし、”完成” されているはずでした。

PA が無くても完成されているのだから、それでも PA が登場する理由は、”生音だと小さくて聴こえないから” というごくごく常識的なところに行きつくはずで、そうすると PA に求められる仕事は、既に “完成” されている音楽を、極力 “そのまま拡大する” ことだけです。ここでは過度な脚色は御法度で、『演奏者が作った響き』『演奏者が意図した響き』をそのまま観客席に届けることだけが考えられるべきだ、というのがぼくの考え。

今回の公演で入っていた PA では、全奏者のギターすべてにコンタクトマイクをつけていました ((新堀さんところは今回に限らずだいたいこのスタイルですね。人数が多いときは前列とか主要メンバにだけマイクをつけてあとは生音です))。スピーカから出てくる音は当然、全ギターにつけられたコンタクトマイクの拾った音を、PA 担当さんがコンソールでミキシングしたもの、です。ホールのキャパシティを考えると、生音が届くのは客席の前のほうの一部くらいで、その一部ですらスピーカからの音のほうがおそらく大きく聴こえるから、生音の出番は今回はもはや無いようなものです。

さて。

演奏者が舞台上で、至高の音楽を至高のバランスで作り上げていたとします。演奏者は自分の耳と感覚を信頼して、隣のひとといっしょに、指揮者といっしょに、向かいのひとといっしょに、舞台の空気の中に自分の音をそっと置きます。そこにはギターならではの芳醇な響きがあって、そして独奏では味わえない合奏重奏ならではの重厚さや繊細さがあって、それはさらにホールの自然な残響を伴って会場中にひろがります。その空気の中に自分が居る感覚、空気を自分が作っている感覚こそが至高で、また演奏者のこのうえない喜びと快感と、楽しさの源泉です。

ところが、PA のマイクは、そういうオイシイ響きはあまり拾ってくれません。コンタクトマイクですから、ギターに片耳をぺたっとくっつけて聴いている状態に近い。ギターに密着しているから、拾うのはギターから外に出た音ではなくて、生々しい “振動” そのものです。だから本来拾わなくてよい音、離れていれば聴こえないのに密着しているからこそ聞こえてしまう音、本来楽器として響くようにはできていない音——たとえば布のこすれる音とか、ギターにさわってぺたぺたする音とか、弦をこする音——まで無関係に拾ってしまいます。そしてそれはギターの音だろうがただのノイズだろうが、機材にとっては無関係で、ひとしく拡大されてスピーカから流れてきます。さらにマイクはモノラルで、スピーカは二つあるから、無理矢理説明すると、スピーカのコーンの位置に、ギターにつけられたマイクの位置の空間が全ギター分重なり合って存在している状態、みたいな感じです。そしてそれが左右にひとつずつある。さらにマイクからスピーカにいたるまでに通る機材ごとの特性で、特定帯域ばかりが強調されたりある音が全然拾われなかったりなどの影響も加わります。

だから、舞台上で作られているひびきと、スピーカから流れている音は、コンタクトマイクだけをつかってどうにかしようとする限り、もうまったくの別物です。舞台上で生で作られる音は、舞台上で生で聴いてこそ最高の音で、そしてそれはマイクを通してスピーカから流したときに最高の状態になる音とは、まったく違うものです。人間の耳にきこえるそのままを電気的に取り込むのはひじょうに難しいのです。逆に言えば、人間の耳とそれを解釈する脳は信じられないくらい優秀です。

しかも合奏です。演奏者同士で舞台上でどれだれ連携してどれだけ繊細にバランスのとれた音を出していようが、PA 担当さんのミキサにはギターごとに別々の音として入ってきます。それをどう料理するかは PA 担当さん次第で、客席で聴こえる音は、だから “舞台上でつくられた音” ではなく、あくまで “PA を通した音” でしかありません。PA は、演奏者の緊張感やバランス感覚とはまったく別の次元で存在します。観客に聴こえる音のすべてを操る、いわば神です。

マイクが拾ったそのままを混ぜて流されたら、ひたすらにぐちゃぐちゃです。何を弾いているのかわかったものではなくなります。

だからこそ PA には、精緻なバランスで左右へ振り分けたり、重なって混ざってしまう音がきれいに分離するようにイコライジングしたり、要らない音を削ったりして、舞台の上で作られているはずの音を再現する、そのように “細工” するスキルとセンスと責任が求められます。すでに完成されている音をそのまま届けるというのは、単にマイクから入ってきた音をそのまま垂れ流せばよいというものではないのです。完成されている音を、”そのままであるかのように聴こえるように” 調整してスピーカから流す必要があります。

帰りに食べた

あの組織が、ぼくみたいに『PA がなくても音楽として完成している』という考えではなく、『PA があって初めて音楽として完成する』という考えでいる可能性もあります。クラシックギターを、旧来の “クラシックギター” としての枠組みにとらわれずに、『電気的な増幅ありきの楽器』として新しい使い方を模索しているというのであれば、それはそれでおもしろそうだし、先が楽しみな変化です。

が、そうならそうで、なおさらそれなりの音作りをしてほしかった。あれではただ『生だと音小さいからマイクつけるね』『全部に同じマイクついてるし全部同じ音で出しておけばいいよね』みたいな、雑な思想にしか見えませんし聴こえません。哲学を感じない、みたいなアレです、イケてないです。

意図的にリバーヴをかけていたようにも聴こえました。音楽ホールにおいては禁じ手とも言える気がします。響きって、いやいやそういうのではなくてね、という感覚。もしかしたらフィードバックの結果かもしれないけれど、それならそれで調整はするべきで……。

そしてギタロンの PA がとくにひどかった。ギターアンサンブルを録音したことがあるひとならだれでも一度は悩まされるあの超低音域のぼわつき、耳に迫り来る音圧のことです。今回はあのぼわぼわぼわぼわしたのが大音量でホール中に響き渡ったおかげで、それ以外の音が完全にぶちこわしでした。マイクにマイクの性能以上のことをさせてはいかんのです。

おいしかったです

もしあのコンサートが、中の方々にとって『大成功』で、そして内部で『とてもきれいな音だった』と評価されているとしたら、その中にいる学生さんたちは、本来の “クラシックギター” としてのクラシックギターの音づくり、響きづくりを、まともに学べないことになってしまう気がします。純粋に “クラシックギター” を学びたい方々にとっては向かない環境なのかなと。新しい楽器としてのクラシックギターを学ぶなら、逆にあそこしかないんでしょうけれど。なんていうか、『”クラシックギター” の専門学校』ではなくて、『クラシックギターを含む様々な楽器群を道具として使った総合芸術の専門学校』っていう印象でした。

“クラシックギター” の音づくりはそんな感じだったので、客席にいたまま『マイクで拾われる前の響き』を脳内で取り出すのも難しくて、演奏面でのコメントはとてもしづらいという結果になりました。

ただ、断片的に見えた限りでは、独奏は丁寧だったし、合奏も楽しそうで、たぶん舞台の上の彼らにとっては『よい音楽』ができていたのだと思います。本来は、そういう『よい音楽』を、練習とは比べ物にならないほどの響きで楽しめるはずの場がこういう公演でありコンサートホールであるはずなのだけれど、それが PA に乱されてしまってひじょうにもったいない ((舞台上にモニタスピーカもあったので、演奏者も演奏しにくくなってたのではないかしらという心配もありました))なあと、PA なしで聴きたいなあと、そう思わされるのでした。生音でじゅうぶんひびくホール ((藤沢校の楽友ホールもギターに向いてない音だし、環境がなかなか難しいのかな))で、しっかりがっつり生音で演奏会をしてみてほしいところです。

皮肉なことに、エレキギターやドラム、キーボードなどの演奏、いわゆる “バンドサウンド” のときの PA はとてもイケていました。正直、”クラシックギター” は使わないほうがすっきりするんじゃないの、とさえ。

学生の手作りな演奏会だし、そこにそう多くのことを求めてはいけないのも承知しているけれど、PA 卓に立っていたのがおじさまだったので学生云々はあまり関係がないのかなと。もしかしたら PA 卓のおじさまは学校側から渡される 2 ミックスを単に流すだけでいいですって指示されたホール側の方だった可能性もありますが。

ギター全部にマイクをつけるのではなくて、例えば三点吊りの音をそのまま流すとか、舞台手前にアンビエンスマイクを立ててその音を流すとか、そのほうがずっとよかったのではないかと思います。”マイクの音” ではなく、ぼくは “演奏者の音” が聴きたかったです。演奏者個人個人のポテンシャルは大きそうだっただけに、PA の残念さが全部を残念にしてしまっていて、それがとても残念でした。

ギターは音量の小さい楽器ですし、大きなホールで演奏をするなら PA は欠かせません。それでもよい PA は、PA の存在を感じさせないほどにほんとうによいものです。ギターひとつひとつの音がそのまま大きくなったような、そういう PA も世の中にはたくさん存在します。

演奏を活かすも殺すも PA 次第と、えらいひとは言いました。PA が悪ではなく、演奏の魅力を最大限に引き出すものであってほしいと、そういうことを考えた一日でした。

ぼくが 2013 年に聴いたり観たり出たり手伝ったりした演奏会まとめ

いろいろいった気になってるけどどれだけ行ったんだっけね、というまとめ。まとめたら思っていたより行っていたのでうれしい。

来年も同じくらいかそれ以上には行きたいけどどうなるかしら。

横浜みなとみらい大ホール

1 月 20 日(日)- 原善伸デビュー 40 周年記念ギターリサイタル@ヤマハホール

先生にお誘いを受けて聴きに。歴史を感じる演奏。ベテランがベテランたる理由はやはりあるのだと思うことしきり。

2 月 24 日(日)- M’s class ピアノ発表会@大倉山記念館

音楽の才能があふれすぎている高校生の友人がピアノの発表会に出るというので聴きに行ってきた。ぎたさんのぱとり勢もゲストで登場。ピアノの弾きっぷりがかっこよかった。

2 月 27 日(水)- 横浜国立大学音楽専門領域卒業演奏会@横浜みなとみらい小ホール

作曲ゼミの友人が卒業制作で書いたギター五重奏曲の演奏者として参加。あと録音やさん。縁ってのはおもしろいものですね。よい曲だったしもうひとりの作曲ゼミの子の作品もすごくイケてた。平日だったから会社休んだ。

3 月 31 日(日)- 北杜高校ギター部スプリングコンサート@北杜市オオムラサキセンター

ずっと行きたかった北杜さんの演奏会。ようやく行けてほんとうに楽しかった。いろいろとごあいさつもできて、車を出して遠出した以上の価値はあった。

4 月 4 日(木)- 多摩高校ギターアンサンブル部定期演奏会@横浜みなとみらい大ホール

かつて自分がいた部活の定期演奏会。会社を休んで朝から運転手兼写真撮影担当兼録音担当。毎年の楽しみのひとつ。来年からはお客さん?

5 月 13 日(日)- ギターフェスティバル@代々木上原けやきホール

長谷部先生の門下生の方々の演奏会。ゲストのクアトロ・パロスさんを聴きに。さすがのクオリティ、安心して楽しく聴ける四重奏。

6 月 8 日(土)- 東京農業大学&専修大学ジョイントコンサート@多摩市民館

フォロワさんが出るとのことだったので聴きに行ってきた。ザ☆大学のノリ! みたいな演奏会。たのしそうだった。ちょっと形式をだいじにしすぎな感もあって、もっと自由にしていいのになあとは思った。

6 月 9 日(日)- NHK 交響楽団定期演奏会@NHK ホール

いわずもがな。聴きに行きました。惑星さいこうです!

6 月 12 日(水)- サントリーホール室内楽アカデミーゲストコンサート@サントリーホールブルーローズ

プロアマ混在でいろいろなひとがいろいろ弾く室内楽の演奏会を聴きに。アマチュアといっても音大生なんだけど、それにしてもプロとの差が……! はからずもベテランと若手の聴き比べになってしまった感。

7 月 13 日(土)- 洗足学園音楽大学 NATSUON! 2013 クラシックギターコース演奏会@洗足学園音楽大学

録音担当兼お客さんとして。音大生によるギターアンサンブルというめずらしい演奏会。各人のポテンシャルはすごかったけど、楽器にも新しい先生にも慣れていない感が出てて、ちょっと新鮮。

7 月 13 日(土)- ソニー吹奏楽団定期演奏会@大田区民ホールアプリコ大ホール

聴きに。上の洗足さんと同じ日だったので、朝は洗足で録音の準備して、こっちに移動して数十分だけ聴いてまた洗足に戻る、というスケジュールだった。エヴァンゲリオンを聴けたので満足。吹奏楽もかっこいいですね。

8 月 25 日(日)- 全国学校ギター合奏コンクール@横浜みなとみらい大ホール

毎年の楽しみのひとつ。例年どおりに録音やさん兼ステージ関連いろいろスタッフとして参加。出場校の中高生にも知人友人が増えてきたので、どの学校も他人の気がしない。袖でヘッドホン越しに音を聴くのが毎年恒例。来年のぼくはどういう形で関わるのかしら?

9 月 7 日(土)- 多摩高校ギターアンサンブル部文化祭コンサート@多摩高校

演奏を聴きに。引退した 3 年生やそれより上の OB 勢ともわちゃわちゃできるよい機会。たのしい。

9 月 22 日(日)- 相模原中等教育学校クラシックギター部オータムコンサート

演奏を聴きに。実は構内に入るの初めてだった。ここでまたお知り合いが増えました。『もしかしてくろいさんですか!』『はい!』がたくさん。うれしい。

10 月 6 日(日)- 全日本ギターコンクール合奏部門学校の部@江戸川区総合文化センター

NKG 主催。昔は行くとアウェイ感すごかったし社会科見学感あったけど、最近は平気な顔をしてこっそり客席におさまっている。目指す方向がいろいろちがっていておもしろい。行くといろいろ考えてしまいますね。そして語り合う夜の Togetter ができあがる。

10 月 6 日(日)- アコースティックギターサミット 2013@めぐろパーシモンホール

今年からはじまったイベントらしい。誘われたのでお客さんとして行ってきた。昼間からいろいろワークショップなど開かれるもよう。夜のコンサートメインでいった。普段絶対いっしょに並ばないであろうメンバが順に演奏する感じ、贅沢感はんぱない。来年も行きたい。

10 月 13 日(日)- アンサンブル・ジターノオータムコンサート@武蔵ホール

フォロワさんにお久しぶりに会いに行きがてら聴きに。かわいいきれいなホールだった。少人数でめいっぱい楽しむ感覚、観ていてたのしい。ぼくらのコンサートにも何名か来ていただけたのでうれしいです。

10 月 14 日(月)- 内本信裕ギターリサイタル@和光大学ポプリホール鶴川

高校の先輩のデビューコンサート。ドイツでギターを学んでいるだけあってさすがの安定感。きっちりキメてきてきもちがよい。二重奏も三重奏もたのしかった。

10 月 19 日(土)- イ・ムジチ合奏団@サントリーホール大ホール

もう何回目かわからないけど何回聴いてもさいこうだ!! 生音とはかくあるべき、というのを強烈に魅せつけてくれる。コンサートマスタが完全にアンセルミさんになって、また雰囲気が変わってきてイケイケ感あって楽しいし、アンコールの赤とんぼはもうなんていうかほんとうに全身にしみわたってすばらしい。ああいう音が出したいなあと心の底から思える音。お金かかるけどまた日本に来たらまた行く。

10 月 27 日(日)- 日本ギター合奏フェスティバル@練馬文化センター小ホール

クアトロ・パロスさんと UnisOno さんを聴きに。といいつつほかにもいろいろオイシイ合奏団があって見た目にもおもしろい。加藤先生の団体に惹かれた。この日の夜は多摩・相模大野・所沢・芝各校の OB やら元講師やらが入りまじった飲み会になっておもしろかった。

10 月 28 日(月)- クアトロ・パロスジョイントコンサート@GG サロン

クアトロ・パロスさん、東京 GE さん、前日気になったザ・ステアさんを聴きに会社帰りに寄った。オンゲンカーさんは初見だったけど、いちばん右の彼がイケてた。2 曲目かっこよかった。ゲストのオルガさんは私服感がつよくて、中島先生のほうが目立ってたよね……? パロスさんが演奏した佐藤弘和さん作曲の雲の詩って曲がさいこうでした。ああいう情景描写系は大好物です(三千院とか)。

11 月 3 日(日)- JAEM 秋期ギター発表会@和光大学ポプリホール鶴川

普段いっしょに合奏をしている方々や関係各位の、普段とはちがった一面が観られる場所。お客さんとしてお邪魔しました。レベル感いろいろだったけど音はよい。ぼくも出ようかなとか。

12 月 1 日(日)- 芝学園ギター部ウィンターコンサート@芝学園

これも前からいちど行ってみたかった演奏会。東京タワーのふもとまで聴きに。昔聴いたときの強烈なインパクトはやや薄れた印象。ちょっとおとなしくなった? ノリはいいし観ていて楽しいけど、魅せどころってののつくりかたがむずかしいそうだなと。そして音響面がやっぱり場所柄きびしい……。自分の学校の中に演奏会が “できてしまう” 施設があると外に出にくくなるってのはあるのかもだけど、響きのいいホールでやるとたぶんもっと音よくなるんじゃないかしら、と。でもなんていうか、心の底から楽しんでます感が出ててすごくよい。たのしい。

12 月 8 日(日)- 洗足学園音楽大学 FUYUON! 2013 クラシックギターコース演奏会@洗足学園音楽大学

夏につづけて冬の演奏会を聴きに。夏のころの “不慣れ感” はだいぶ薄れて合奏ならではの音のつくりかたにもなれてきたのか、安定感があった。もう少し物理的に高音系の楽器が増えるとバランス取れそう。この日の竹内先生の Surge III 全楽章は日本初演。Surge V で落ち着きを見せた “竹内節” がややおとなしめながらも復活していて、よい曲だった。

12 月 15 日(日)- 新日本ギターアンサンブル ギタークリスマスコンサート 2013@和光大学ポプリホール鶴川

出演。ひたすらに楽しかった。詳細は 前のエントリ で。

12 月 21 日(土)- 新日本ギターアンサンブル ギタークリスマスコンサート 2013 シルバーマウンテンオープニングコンサート@洗足学園音楽大学

出演。攻略しがいのありそうな会場。大学側のスタッフさんが大学として公式に録画やら録音やらしてくれていて、そのうち YouTube に全編 1080p で載るらしい。うれしいやらこわいやら。

以上!

抜けがあるかもしれないけど、今のところぜんぶで 25 でした。平均でひと月に 2 回、なかなか充実してた感があってよいかんじ。行ったら行っただけ世界も視野も広がるし、純粋に楽しいし、そしていろいろお勉強にもなる。弾き方、音のつくり方。ギターにかぎらず、ピアノだって弦楽だって吹奏楽なんだってギターに活かせる要素ってあるはずだし。

来年もぶいぶいいろいろなところに行きたいので、こんなのあるよこんなのやるよ、あんなのあるらしいよ、その他もろもろお気軽にお声かけください。万難排してどこでも行きます。

G.C.C. 2013

今月の 15 日(土)と 21 日(日)、ぼくが所属するギター合奏団、新日本ギターアンサンブルの演奏会があった。

今年もいつもどおりにコンサートに出て、いつもどおりに終わって、いつもどおりに年が明けるんだろうなあと、そういういつもどおりの展開を予想していたのだけれど。

高校一年生のときに初めてギターに触ってから 11 年目、今の団体に所属して 7 年目。

ようやく、ギター人生で初めて “納得のいく” 演奏会になったなあと、そういう感覚を得た。

一日目の控室

別に演奏が完璧だったわけでもないし、指がきれいに動いてくれたわけでもないし、ミスをしなかったわけでもないのだけれど、納得ってそういう意味のではなくて、ぼくはこう弾けばいいのかと、こういう音をつくればよいのかと、これがぼくのスタイルなのかと、そういう納得感。これがぼくの弾き方です、これがぼくのスタイルです、そんな説明ができそうになるような、そういう納得感。

開演の時間になって、袖のドアがあいて、そのまま自分の席についてひといきしたら、なんというかこう、悟りでも開けたかのように、ああこれはキたなと、瞬間的に環境と融和した感覚が降りてきた。空気がふわっと変わって、あとはもう音の流れと空気と音楽のなかを圧倒的な没入感を味わいつつ最後の一音までさいこうにきもちよく泳いでいた、ような感覚。自分たちが出したその音を、いまその瞬間に客席から聴きたいと思った。もちろん無理だけど。

ひたすらにたのしかったです。これまでの 11 年の中で、まちがいなくさいこうだった。

社会人は遊ぶ時間がないとか社会人は忙しいとか、そういう風に思われるのがすごく嫌で、社会人でも遊ぶ時間はあるよと、自分の時間はじゅうぶんに作れるよと、そういう生き方もできるんだよと、現実は世間で思われているほどつらくないんだって自分の身体で証明したかった感もあって。だから練習をしながらもいろいろな演奏会に遊びに行ったしいろいろなひとに会いに行ったし、やりたいようにやって遊びたいように遊んで生きたいように生きていたのだけれど。

そうして生きる中でいろいろな演奏者の音をきいていろいろな弾き方をみて、これかっこういいなとか、これかわいいなとか、これかっこうわるいなとか、これきもちがいいなとか、これださいなとか、これうるさいなとか、これあざといなとか、これきれいだなとか、そういう少しずつの感想、ほんのちいさな納得をあつめて食べて飲みこんで吸収して、自分はこうしてみようああしてみようと、これまで食べたものをまぜこぜにしてこねくり回してみたのが、たぶん自分にとってはよかったんだとおもう。やっとストンと落ちた。

二日目の会場

とはいうものの。

ギターアンサンブルってすごくマイナだから、視野を広げてみたところでそこまで世界は広くない。大きな派閥めいたものもあるけれど、それだって別に大きくない。ただでさえちいさい世界なのに、この世界のひとたちって自分の居る団体のことしか見ていない感がすごい。自分以外の団体のことはどうでもよくて、自分たちの演奏会には自分たちの身内ばかりをお客さんとして呼んで、内輪で褒め合ってきゃーかっこいーきゃーすてきーきゃーじょうずーって言い合ってる感じ。

一日目の翌日、自主反省会にて

承認欲求満たしあうだけならそれでいいんだけど、それならもっとつよく承認欲求が満たされたらもっときもちがよいし、じゃあもっと強く承認欲求を満たすには、全然関係ない無関係すぎて予想外すぎるほどに無関係なコミュニティのひととか世間的にあんまり仲がよくないと思われている別の派閥っぽいひととかに承認してもらえばいいんだ! と思わなくもないわけで、じゃあ全然関係ない予想もつかないほどに無関係すぎるコミュニティのひととか世間的にあんまり仲がよくないと思われている ((実際そんなことないんだけどね))別の派閥っぽいひととかを演奏会に呼ぶにはどうしたらいいのかなあということをぽやぽや考えている。ひとをつかって宣伝をするかぎり『知っているひとのことしか知らないよ』ってなるのは当然なわけで、来てほしい層にリーチするには来てほしい層にリーチしそうな広報媒体を使わないといけないよね。いたずらに広報してひとが来すぎても、受け入れられるだけのキャパシティがない(現状毎年 500 人だし空席ほとんどなくなるし)から、それはそれで別の問題が出てくるけど。

一日目の翌日、自主反省会にて

とはいってもやっぱり身近なコミュニティ(いろいろな中学高校大学のギター部のみなさまとか、その OB のみなさまとか)はとてもだいじだしだいすきです。そういうコミュニティの方々に、ああいう音が出したいああいう演奏がしたいああいう弾き方がしたいああいう団体に入りたいと、そういう “身近な目標” 的存在として認識してもらえるような、そんな団体としての位置づけはめざしていきたいところです。『ビッグになってやるゼ☆』とか『デカいことやってやるゼ☆』とかいうのが具現化した未来がきたとしても、近いコミュニティはいちばんだいじ。

二日目、打ち上げ

そんなわけで、ようやく “産まれた” この感覚が、もうすこし確かで、もっと質の良いものになるように、来年もたのしく生きようと思います。

ギターと部活、音楽に関わるぼくの頭の中、あるいは感覚

過去のついーとから話題ごとにいくつか抜き出して並べる。

こういうついーとを書いているときって、いつかこのネタを膨らませてブログに書こうとだいたいは思っているのだけれど、実際そうはいかないものですね。

愛器

弾く、あるいは演奏するという行為

脳を使おう、脳内の音楽を極上にしよう、想像の質を高めよう、という話。

手癖、フォーム

三年前にはこんなことを書いていた。どうでもいいけど文中のカッコが半角なのが気になる。当時は当時のポリシィがあったんだよ……!

音質を求める

脳の話に近いけど、やっぱり先に進むには理想がないとね、という話。

弾いてるときはこうなる

楽譜を読もう

『楽譜を見ないでもおたまじゃくしの通りに音を並べられるようになった』っていうだけでは、まだまだ暗譜って言えないと思うんです。

合宿の活かし方

一年前にも facebook で同じことを書いていた。というか、一年前のをコピィしてついーとした。

去年は合宿に二日間だけ参加してたのでした。

OB って何なんだろう

歳が離れてくるといろいろと思うところが増える。

かつてぼくが、ある OB に対して抱いた強い不満。この辺は 別のエントリ にも書いた。

むかし話。

曲選び

一年生と二年生

これもちょこっと 別のエントリ に書いてる。

パート決め。事実ですが、事実ですね。

そんなこんなで、Twilog にはぼくの 2009 年 6 月以降のついーとが全部残っている。Twitter をはじめたのは 2008 年 2 月だから最初のほうのは欠損してるけど、それでももうだいぶながくやってるなあと。関連するっぽいキーワードで検索していくつか抜き出してみると、自分のついーとながら考え方の変遷が見えてなかなかにおもしろい。

黒歴史っぽくて消したいものもいくつかあるけど、なるべく残しておきたい。消すのはいつでもできる。

スーツのズボンに穴をあけたので修理してもらった

ちょっとしたトラブルでわりと派手に穴をあけた。左のおしりのところ。

左のおしりのところ

穴の左右もツレちゃってる

ぱかっ

ズボッといったよねズボンだけに。ごめんなさいなんでもないです。

そんなわけでどうしようもないので修理に出した。二年前のモデルなので、もう同じのを新しく買うってのができなかったのです。

で、多少跡は残るかもとあらかじめ言われてはいたけど、仕上がりをみたら覚悟していたほどの残り方ではなくて、おおむね満足な仕上がり。

遠目に見ればわからないくらい

じろじろ見るとばれる

じろじろ見られるとバレるけど、普通に着ている分にはわからなさげ。

修理代は 17,000 円ほど。かけはぎで、面積に応じてお値段は上がっていくとのこと。納期は二週間くらいだった。

ちなみにこのズボン自体は 20,000 円くらいで買ったもの。見積もりの値段みてちょっと迷ったけど、まあいいかなって。

部活の古い録音、レガシィな記録媒体のお話

高校のころ所属していた部活 の古い録音の山が、講師の先生のところに眠っているらしい。何年も前にそんな話を聴いてから、いつか全部きちんとデジタル化して後世に残していきたいなあとながいこと思っていたのだけれど、最近ようやくこれに着手した。

部活の公式 Web ページの中の “ギタサン史” によれば、ぼくらのルーツは 1972 年の秋に発足した同好会。今が 2013 年だから、もう 41 年を数えることになる。ぼくの生まれが 1987 年だから、それよりもずっと前。

40 年を越える歴史があるというのに、さて、ぼくらが “過去の演奏” を聴こうと思ったときに聴けるのは、せいぜいここ 10 年分くらい。最近の部員の中では比較的長くぎたさんに関わっていると思われるぼくでさえ、手元にきちんとした形で持っているのは 2001 年度以降のデータだけ。

世の中に録音が存在しないなら別だけど、物理的に残っているのであれば、それが聴けなくなる前に、聴ける状態にしておきたかった。

経年劣化は避けられない。はやくどうにかしないといけない、このまま何もしないでいたら、ぼくらは膨大な何かを失うことになると、そういうぼんやりとした危機感があった。

残っている記録媒体は、たいがいは何らかのテープ。危機感の根源は、テープの寿命ではなく、テープを再生する機械の寿命である。

テープは強い。コンパクトカセットだろうが DAT だろうが miniDV だろうが Hi8 だろうが VHS だろうが VHS-C だろうが beta だろうが、とにかくテープは強い。信じられないくらいに強い。耐久性でいえば CD-R や DVD-R や HDD よりも何倍も何十倍も強い。今までの数十年も平気で品質を保ってきたし、多分この先の数十年も同じように品質を保ってくれるはず。

だから別に今やらなくてもいいのではないかと思わないこともないのだけど、現実的にはたぶん、テープより先にそのテープを再生できる機械がなくなる。かつて一世を風靡したカセットデッキも、もはやまともな新品は TEAC のくらいしか手に入らない。DAT デッキなんてもうどこも作っていない。

今あるデッキだっていつかは壊れるし、ガタがくるとテープが入ったまま取り出せなくなるとか中で絡まるとか切れるとか、そんなことも起こりうる。そんな現実をよそに、メーカの保守パーツの保管期限もどんどん切れてくるから、オーバホールはおろか修理さえも年々難しくなってくる。

だからやっぱり、今、できるひとがやっておかなければいけない気がする。

第一に、テープの中のデータを保全すること。第二に、保全したデータをリマスタリングして再利用性を高めること。第三以降は、考えていない。

何年かかるかわからない。まずは音から。そのあとは映像。終わったら部活ではない別の団体の分。なんせ 500 本ちかくある。先は長い。いまは 50 本くらい終わったところ。

そんなわけで、最近はレガシィな記録媒体と仲良く暮らしている。ぼくが生まれる前に記録されたメタルテープ ((コンパクトカセットは磁性体の違いでノーマルとハイポジション(クロム)とフェリクロムとメタルがあって、メタルがいちばん音がよい。家電量販店で今でもたまにコンパクトカセットを見るけど、もう劣悪なノーマルしか置いていない)) が想像をはるかに上回る音のよさでびっくりしたりとか、180 分の DAT をデッキに入れるときにちょっと緊張したり ((180 分の DAT はほかの時間のよりもテープそのものが薄いので、デッキの中で絡まったり切れたりしやすい)) とか、そんな毎日。

しかしこういうことをやっていると、五十年後にこのデータは誰がどう管理しているんだろうなあとか、そもそも五十年後って部活どうなってるのかなあとか、高校っていうシステムがその時まで残っているのかなあとか、いろいろ考えてしまいますね。

はてさて 75 歳のぼくは何を思うのでしょう。そもそも生きているかもわからない。

裁断業者さんに本の裁断を頼んだら実質 1 冊 118 円だった話

電子書籍系エントリの続き。

自分で裁断するのはたいへんそうだったから “時間と手間はカネで買え” を合言葉に裁断代行業者さんに本を送ったら、たいへんよい品質で満足できた、というお話。

まとめると、

  • 今回は カットブックプロ さんに頼んだ
  • 99 冊裁断してもらったら、送料等含めて 1 冊あたり 118 円だった
  • きれいに裁断されていた。でも 20 冊に 1 冊くらいはページ同士がくっついてる子がまぎれてた
  • ある程度のまとまった冊数を裁断したいなら業者さんは大いに活用するべき

という感じでした。

業者さんを選ぶ

今回は カットブックプロ さんにした。”裁断代行” でぐぐったらいちばん上だったし、GW 中でも対応しているっぽいことが理由。値段でいえば 裁断ブックマート さんのほうが安そうだったんだけど、GW 中は休みっていうから、多少高くても対応が早いほうがいいなあということで。

注文する

料金表 をみると、”文庫・コミック” と “全種類” とで二種類ある様子。今回は雑誌も大型本もハードカバーもいろいろあったので全種類のほう。

今回は 99 冊 ((前のエントリでは 130 冊って書いたけど、数え間違えてた……)) の裁断をお願いする。100 冊パックを注文して箱を分ければよいのかとも思ったんだけど、FAQ をみたら “50 冊パックで 2 箱になった” に対して “冊数分に合ったパックに変更させてもらう” っていう感じで書いてあった ((“パック変更か送料安い方かに変更させてもらう” って記述もあってどっちか迷った(同じ Q が二個あるのはイケてないよね)んだけど、モメるのも嫌だからまあ分けておくか、くらいの判断)) ので、箱詰めのことを考えて、

  • 20 冊 + 30 冊 + 50 冊

で注文した。

トップページのお知らせを見たら “新生活応援キャンペーン” とやらでクーポンコードが書いてあったのでこれも使う。3,000 円以上で使えるってことだったので、20 冊 + 30 冊の注文と 50 冊の注文を分けて、それぞれでクーポンコードを使った。全部で 300 円引き。われながらせこい。

注文したら振り込む。インタネットで振り込めば家から出ないで済む。楽。

箱詰めして送る

適当な段ボール箱に詰める。気をつけたいことは以下。

  • 往復に耐えられそうな強度のにする(送った箱でそのまま返送されてくる)
  • ひと箱の三辺の合計が 160 cm 以下にする(集荷してもらえない)
  • ひと箱で 30 kg 以下にする(集荷してもらえない。できれば 25 kg にした方が安いらしい)
  • 注文したパック単位で箱詰めする(今回は先述の注文だったので 20 冊 + 30 冊 + 49 冊で詰めた)

詰めたら郵便局にゆうパックの集荷以来を出して、取りに来てもらって、往路分の送料を払う(復路分はパック料金に含まれる)。持ち込みのほうが安いらしいけど、重いから運ぶのたいへんだし、家から出たくないし、来てもらうに限る。

ちなみに本のソフトカバー、着けたままでもよい(業者さん側でちゃんと外して裁断したあと一緒に返送してくれる)らしいけどなんとなく外しておいた ((後の手間を減らすためにカバーだけでも先にスキャンしておく作戦)) 。附録の CD 類も抜いておいた。

戻ってくるまで

一日目の夕方に注文、振込。夜に集荷。

二日目の朝、入金を確認した旨の連絡。

三日目の朝、本が届いて裁断作業に入る旨の連絡。夕方には裁断が終了して発送した旨の連絡が入った。予想以上に早い。

四日目の昼、裁断済みの本が届いた。

全体的に早かった。

できあがり具合

箱を開けると、数十冊ごとにポリ袋でくるまれて、隙間には新聞紙が詰められた状態。

裁断面はすごくきれい。

一冊ごとに輪ゴムでまとめられている。輪ゴム自体のかかりは弱いから、うっかり山を崩すとたいへんなことになりそうな気はした。丁寧に扱えば問題なし。

垂直にきれいに裁断されているので、基本的にはそのままスキャナに放り込める。基本的にはって書いたのは 20 冊に 1 冊くらいはページ同士がくっついてる子がまぎれてたからで、だからスキャナに放り込む前に念のため分離の確認はした方がよさそう。

糊の付き方なんて本によって全然違うし、この値段で完璧な分離まで求めるのは酷な気がする。20 冊に 1 冊くらいなら許容範囲内だと思う。

かかったお金

こんな感じ。往路分の送料含めて、総額で 11,720 円。99 冊だから、1 冊あたり 118 円。

摘要 金額 備考
注文 1 4,435 円 20 冊 + 30 冊パック、割引適用後
注文 2 3,635 円 50 冊パック、割引適用後
送料 3,650 円 3 箱分、往路分。復路分はパック料金に含まれる
合計 11,720 円 1 冊あたり 118 円

おわりに

1 冊あたり約 120 円というのを高いとみるか安いとみるかはひとそれぞれだろうけど、個人的にはこの値段なら気軽にできてすごくよいと思った。

自分でカッタでやるというのは論外だし、裁断機(40,000 円くらい)を買うなら単純計算で 340 冊くらい切らないと元が取れないし。

340 冊ってすぐじゃんって思うけど、裁断厚が 18 mm までっていうから大型本はつらい(今回送ったのはほとんど 20 mm 以上だと思う)し、そうでなくたって 340 冊も自分が手を動かしてやるっていうのは根本的にすごく手間だし。

注文や箱詰めの作業分 “だけ” の手間と時間でこの品質の裁断結果が買えるなら、充分アリ。

文庫とコミックだけならもっと安いし、もっと大きな単位のパックで注文できればさらに安くできるし。1 冊だけ裁断したい、みたいなときは小回り利かないけど、ある程度冊数があるなら業者さんに頼んでしまうのがぼくの判断基準ではいちばんいいと思った。

関連エントリ

進撃の書体、オープニングを真似るためのフォントの話

はじめに

アニメ『進撃の巨人』のオープニングのパロディが動画サイトでいろいろと出回っている。

で、そういう動画を観ると、途中の『進む意思を嗤う豚よ』以降のところ、作者さんごとに思い思いの書体で再現されておられる。じゃあせっかくなんだし、なるべくオリジナルに忠実にしたらどうなるんだろう、ということで調べた。

まとめると、

  • 使われている書体はダイナフォントの『DF 華康明朝体 W5』と『DF 極太明朝体』の二種類
  • 前半は装飾なし、後半はシャドウやら光彩やらの装飾がある

という感じ。

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