全国学校ギター合奏コンクール 2014 で、ギター合奏のことを考えた

全国学校ギター合奏コンクール 2014。併催、第 25 回 JGA ギター音楽祭 Kyo-en in 東京 2014。

今年もこの日がやってきた。

8 月 25 日、ミューザ川崎シンフォニーホール。前身の全日本学生ギターコンクールを含めると、ぼくの人生で十二年目のこのコンクール。年にいちどの夏の楽しみになって久しい。

行ってきたというとお客さんのようだけれど、実のところだいたい毎年、裏方のひとりとしてぼくは舞台袖に居る。

袖では見えない風景も、袖では聴けない音楽も、袖では味わえない空気もあるけれど、袖でしか見えない風景も、袖でしか聴けない音楽も、袖でしか味わえない空気もある。

ぼくはそういうものがだいすきで、だからぼくはぼくがそこに居られることがすごくうれしい。

会釈するだけ、ほんのひとことふたこと言葉を交わすだけ、あわただしく動き回っているとどうしてもそれだけしかかなわないこともあるのだけれど、それでも出場するいろいろな学校に、友人知人が居る。自分が出場していたころ、あるいはまだぼくの世界が狭かったころ、どうしたって母校びいきで、いうなれば “多摩とそれ以外” というくくりでしか観られなかった世界も、今ではもうまるで違うもの。

“やりたいからやる” という、人類最強のモチベーションの表出であるところの、部活。

全国にちらばるたくさんのそれが、コンクールとコンサートという似ているようで四分の三くらい対極にあるふたつをそれぞれで繰り返すわけで、どうしたって創発的に進歩するはずだし進化するはずだし発展するはずだし発達するはずで。年々レベルが上がっているとよく言われるけれど、だからある意味でそんなことは当たり前で、逆にそうでなければこの世界に未来はない。

順位が決まって、賞が決まって、今年のコンクールはそれで終わる。どこが勝った、どこが負けた、うれしい、くやしい、いろいろあるし、友人たちがわんわん泣いているのを観て、ぼくだっていろいろ思うけれど。

この日、この学校がこういう演奏をした。その演奏は、この審査員の方々にこう評価された。その結果、こういう順位が付いた。それはもうひとつの事実で、あしたからのギター合奏は、その事実の上でしかできないし、その事実からしか生まれない。あしたのギター合奏は、あしたをいきるひとがつくるし、一年後のギター合奏は、一年後をいきるひとがつくる。

ぼくが出ていた頃と今年のこれとを近似直線で結んでみたところで、この先の百年二百年の予測が立てられるわけでもない。それでも未来は過去がないとつくれないから、この日は未来のギター合奏を作るためには必要不可欠な一日で、それを演奏者として作り上げた七百名はやっぱり偉大な方々なのだと思う。出場することでしか得られないものは、溜め息がでるほどに大きいし、目眩がするほどに大きい。いくら裏で動いていようと、それはぼくには得られない。

これから、この世界はどうなっていくのかしらと、どういう未来がくるのかしらと、少しばかりの不安とともに大きな期待を持ちながら。できればぼくは、この世界の未来の姿を、自分の目と耳で観て聴いていたいと思う。

出場されたみなさま、よい音楽とよい時間をありがとうございました。

ぜひ、それぞれの人生を。

某社の某イベントでビッグバンドと吹奏楽を聴いてきた

8 月 22 日、某社主催の某イベントに行ってよいことになったので行ってきた。会場は都内某所。行ったことそのものは記録しておきたいのだけれど、いろいろ配慮して伏せているあたり、お察しいただきたく。

会社を定時で飛び出して向かったこのイベント。イベントの性質上お子さまを連れた方々多かったけれど、おじいちゃんおばあちゃん世代も居て幅広い。いろいろな企画があったようなのだけれど、夜の音楽の部分だけ狙って参加。

さいしょに聴いたビッグバンドさんは総じておしゃれでオトナな雰囲気で、『じぶんたちの好きな曲』を選んできたようなプログラミング。

若干緊張していたのかなかなかジャジィな空気にもなりきれていなかった感があったけれど、時間が経つにつれてこなれてきて、三曲目(曲名わすれた……)ではサックスのソロのふわふわとした揺れがとても気持ちのよいカンジに。あれは好きだった。

お子さまが置いてきぼりになっている感もあったけれど、ジャズでお子さまの心をつかむのは難しそうだし、親世代向けという割り切りはそういう意味ではアリなんだろうなあと。ふだん単独で演奏会もしているようなので、いっかい行ってみようと思った。

一転して次の吹奏楽さんは、お子さまも完全に対象に含めてきた本気のプログラミング。吹奏楽の定番曲を入れながらも、季節モノ(夏の定番ポップスのメドレ)、流行モノ(ようかい体操第一)などをじゃんじゃん入れてきて、『会場のみんなもいっしょに踊ってみよう!』と攻めてくる。

演奏がうまいのはもちろんなのだけれど、お子さまたちがよろこんでうたっておどってはしゃいでいるのを見ると、うまいプログラムだなあと思わざるを得ない。選ぶ曲もそうなのだけれど、ようかい体操第一でお子さまをがっつり引きつけた状態で吹奏楽らしさ全開の宝島を持ってくるとか、そういう順番もよく考えられている。すごい。

最後は合唱団さんも混ざって、小学校の音楽の授業でやるような(この選び方もうまい!)合唱曲や流行の Let it go(お子さまも大合唱!)、ストレートに明るい曲(たのしい!)など何曲か披露して終わり。

曲の選び方はすごくだいじだなあと強烈に思った夜。たのしかった。

ギターサマーコンサート 2014 に行ってきた

8 月 18 日、月曜日。おしごとを午前中で切り上げて、途中から聴きに行ってきた。会場は相模女子大学グリーンホール。

全国学校ギター合奏コンクールに出場する団体のうち、神奈川県内で活動する方々が集うこの演奏会。毎年コンクールのすこし前に開催されて、幹事は各校で持ち回り。

後ろの三団体しか聴けなかったので、特定のどこかについての言及は控えるけれど、センパイの背中を見て育ったところ、自分たち独自の世界を作っているところ、学校ごとの違いもさることながら、同じ学校のなかでも要素によっていろいろな色が見えて、ああほんとうにもう一年経ったんだなあと。

聴くところによると、ぼくが聴けなかった前半組の演奏も目を見張るものがあったようで。

一週間後のライバル同士で、本番一週間前にして手の内を明かしあう、とても刺激的な場。だからあしたからの一週間が、成長曲線でいえばいちばん伸びる期間。

次の日曜日、ミューザの舞台が、とても楽しみ。ぼくも袖でうるうるしたい。

Roland の SC-88 をもらったので、21 世紀の今あらためて MIDI を聴く

SC-88 を友人からもらった。SC シリーズだと SC-88Pro っていう通称 “ハチプロ” が有名だけど、これはその 2 年前に発売された、88 系列の最初のモデル。

ミュージ郎の時代だ、ミュージ郎の。

今でこそ mp3 なんていう便利な PCM 音源が台頭しているけれど、インタネット聡明期のピーガガガ時代に、インタネットの “向こう側” からダウンロードできるほんの数十キロバイトの MIDI ファイルに、いったいどれだけのヒトがどれだけのユメをみたことか!!

スピーカをオンにしたままネットサーフィン(死語)をしていたら MIDI ファイルが自動再生されるページを踏んでしまって爆音にびっくりするとか、巧妙に埋め込まれた MIDI ファイルをどうにかダウンロードしようとソースコードから JavaScript まで追いかけるとか、そういう時代。

当時の JavaScript は、右クリックを禁止したりステータスバーにメッセージを流したりページを開くと『ようこそくろいさん! 11 回目の訪問です! 夕焼けがきれいな時間帯ですね!』って出てきたりページ遷移にきらびやかなエフェクトをつけたりマウスカーソルにオリジナルキャラクタが常にくっついてきたりクリックすると花火が上がったり、そういう技術だった気もする。

それはいいとして、とりあえずこの SC-88 を鳴らしてみたいので、セットアップ。

接続とリセットと初期設定

本体の [COMPUTER] スイッチを [MIDI] にして、使っているオーディオインタフェイスの MIDI 出力を SC-88 の [MIDI IN A] に MIDI ケーブルでつなぐ。

ヘッドホンで聴くだけでいいならこれで終わり。必要があれば RCA な [OUTPUT] をオーディオインタフェイスの入力に戻してやる。

電源を入れて、謎な設定が残っているかもしれないので、ファクトリリセットする。

  1. [SELECT] を押しながら [INSTRUMENT] の [←] と [→] を同時押し
  2. 確認が出るので [ALL] で承認
  3. 処理が終わったら電源を入れなおして完了

デフォルトでは SC-55 互換音色マップが有効になった。そういうものらしい。

MIDI 出力デバイスが選べるプレイヤならここまででひとまず音は出る。Windows の標準出力を変えたい場合は、Windows 7 なら Putzlowitschs Vista-MIDIMapper(声に出して読めない)などを突っ込んでよしなに設定してやる。

肝心の音はどうなの

Windows に昔からもともと入っている C:\Windows\Media\town.mid で比較。

最初に Windows 7 の標準の、Microsoft GS Wavetable Synth。

次に今回もらった SC-88。55 互換はオフで、88 ネイティブな状態。Muted Gtr が弱いけど全体的な雰囲気はこれが好き。

SC-88 で 55 互換を有効にするとこうなる。

実を言うと VSC3(Virtual Sound Canvas 3)のライセンスは持っているので、これでも鳴らすとこうなった。88Pro 互換モードに設定。SC-88 の 55 互換モードとよく似ている。VSC は x64 環境だと動いてくれないので普段使いには厳しい。VSTi 版は持っていない。

VSC あるならハードウェアいらないのではっていうのも理解はできるのだけれど、でも物理的なモノってやっぱり好きなのよね。

オマケで、TiMidity 版。SGM-V2.01 っていうサウンドフォントを丸ごと突っ込んである。

TiMidity、高校時代にカスタマイズにハマっていた記憶が。

SFC の AO 入学生向けの入学前レポートで、当時のぼくがネタとして取り上げてもいた。今みたら、

このように、それぞれの楽器ごとにサウンドフォントを割り当てることで、MIDI 再生時に TiMidity++ が該当するサウンドフォントを参照し発音する。サウンドフォントごとにバラバラである音量などのパラメータも、ユーザ側で任意に調整できるようにされており、この例のように音量(amp)、パン(pan)など、他にもピッチやオフセット等の調整用パラメータが用意されている。

とか、

インターネット上にあるサウンドフォントは玉石混合であり、納得のいく音色を持つサウンドフォントを探すのは非常に難しいことであるが、この玉石混合から『玉』を探し出すのがこのカスタマイズの醍醐味でもある。また、インターネットの一部ではユーザがカスタマイズした設定ファイルが公開されていることもあり、これを使用すれば比較的簡単に高音質再生環境を実現することが可能である。

とか書いてあった。なつかしい。

使い道

正直何も考えていないのだけれど、実家に MIDI キーボードを置いてきているのでそれを持ってくればいろいろ遊べそうだなーとか考えている。

既成の MIDI ファイルを綺麗に鳴らすためのハードウェアってわけではないので、本来の使い道としてはその方が正しいのだけれど。

NHK 交響楽団の N 響ほっとコンサートに行ってきた

8 月 3 日、日曜日。NHK 交響楽団の、N 響ほっとコンサートに行ってきた。

夏休み特別公演と書かれていることからもわかるように、イベント自体は夏休み中のおこさまたち向け。

おこさまたち向けのイベントではあるけれど、おこさまたち向けだからって手を抜くなんてことは当然ながらまるでなく、むしろ平時の定期演奏会よりも熱が入っていた印象でとてもよかった。

おこさまたちってすごく正直で、つまらなくて飽きたらすぐに興味を失ってほかのことをしだすわけで。

だからなのかわからないけれど、奏でられた音楽は、これでもかというほど強烈にオーケストラの魅力をアピールしてきていて、かっこうよさを全力で見せつけてくるような、そんなアツい演奏だった。

ねちっこくて暑苦しいほどにストレートに本気で、それがさいこうに爽快。あそこまで重くて壮大な終わり方をする『キエフの大きな門』は初めて聴いたよ! かっこうよかったー。

オーケストラの魅力を伝えようとして企画されたコンサートで、オーケストラかっこいいなーって思えたので、だからとても気分がよかった。

定期演奏会みたいなかっちりしたのもあれはあれでいいけど、こういう気軽な雰囲気で本格的な音楽が聴ける演奏会っていうのもよいですね。

吹奏楽祭 2014 マーチ&ポップス・イン・HIBIYA に行ってきた

またまた吹奏楽を聴きに。7 月 13 日、日比谷公会堂。

同じ日に洗足音楽大学のクラシックギターコースの演奏会もあって、そちらも魅力的ではあったのだけれど、残念ながらハシゴはかなわず。

のんびりめに家を出たら、東京隆生吹奏楽団さんの演奏中に到着。

着いていきなり観たこの方々がいきなりレベル高くてテンションうなぎのぼり。フルートのソリストさんの身体のつかいかたがイケイケでかっこうよかった。

音楽的情動に素直に従った派手な身体の動きってぼくはすごく好きで、意図的な演出では絶対に表現できない域だし、聴き手の動物的原始的本能的な芯に突き刺さる魅力があると思っている。

社会人と大学生が中心のようで、年齢層は高くない。だからこそよい意味で『脂ののった若手』って感じで、習熟度とか積極性とか柔軟性とか冒険心とか余裕とか体力とかいちばんオイシイころあいで、いちばん音楽を自由に好き放題にアツくできる年齢がこのあたりだよなあと、そんなことを思った。

つづく潤徳女子高等学校さんの演奏は、スマートで隙のない仕上がり。逆にいうとあまり遊びはなくて、演出で表現しようとしていたポップさと演奏とのギャップがちょっと大きくなってしまっていた印象。

舞台前列に並んだ演出担当の方々で演奏者が隠れてしまって、並んで踊っている方々のために BGM を演奏していますよ、みたいな空気に見えてしまったのもすこし残念だった。そして並んで踊っている方々、一曲まるまる楽器を触れないようだったけれど、あれって本人たちはそれでいいのかしら……? 吹奏楽界の文化をよく知らないから、あれもふつうのことなのかもしれないけれど。

最後の東京都職場吹奏楽連盟合同バンドさん。この日のために集まった、東京都内のさまざまな会社の吹奏楽団の有志の方々だそうで。総勢 60 名ほどだとか。

ブルーインパルス、とにかく難しそう……! ほんの数回の練習でここまで持ってくるのは個々人のレベルの高さがあってこそだなあとは思ったけど、それでもまだ “こなせていない” 感じが否めなかった。シンコペーションのもたもた感とか速いスケールのぐらつきとか、全体的に力業で合わせにいっている印象。でもかっこうよい曲でたのしい。

民謡は和太鼓がイイ味を出していた。日本の民謡を西洋の楽器と様式で演奏するのって、よくよく考えるとふしぎだけれど、やってみるとけっこう合うのよね。民謡の勢いと吹奏楽の破裂音は相性がよい。

これとこの次の二曲は、聴いていてたのしかった。とくに最後のアフリカンシンフォニー、すっと耳に入ってきてきもちよかった。演奏するほうも演奏に慣れていそうで、手放しにふわふわと聴いていられる感覚。余裕って大事。

吹奏楽のコンクールにもやっぱり行ってみたくなった。とくに社会人団体のをみてみたい。きっとすごいひとたちがたくさんいる。

宿河原のいつものお店、ポトスのオープンマイクに参加してきた

7 月 6 日、水曜日。

宿河原のいつものお店ことポトス ((ぼくが愛してやまない母校こと多摩高校の最寄り駅、宿河原駅の改札を出てすぐの洋食屋さんのこと。平和でおいしいごはんやさんであると同時に、地元のアー ティストのみなさまがよくライブ会場としてつかう場所でもある。ぼくもよく食べに行くし、ギター部の現役さんも OB 勢も重奏やら独奏やらで何度かお世話になっているところ))さんのオープンマイクの日 ((ポトスで月に数回行われる、いろいろな団体(もちろん個人でもよい)が八つくらい集まって、一団体 15 分くらいの枠でパフォーマンスを披露できる日のこと。音楽のひとが多いけれど、それに限らず、朗読とか、お笑いとか、なんでもありの自由な時間))、所属するバンド(?)の Rubinetto ((そのうち紹介できると思うので割愛するけど、簡単に言うと、アルトギターふたつとアコースティックギターひとつとアルトチェンバロギターひとつとバスギターひとつとベースウクレレひとつを使った、結成してまだ半年も経っていないインストゥルメンタルバンド)) として枠をひとつもらって、二曲だけ演奏してきた。

ギターを始めて 12 年目、これまでいろいろなステージに立ってきたつもりだけれど、どれもお客さんはぼくらのギターの音を聴く前提で来ている方々ばかりだった。演奏者とお客さんの間でそういう前提が共有されていると、弾くほうも弾きやすいし、聴くほうも聴きやすい。どちらにとってもよいことだけど、悪くいえば箱庭的温室的内輪感から抜けにくくなっている要因でもあった。

そんな中で今回、お客さんとしてぼくらの前に座っている数十名の方々のほとんどは、ぼくらが今日ここで演奏することを、ぼくらが弾き出すその瞬間まで知らなかった方々なわけで。何のネームバリュもない知名度ゼロの状態のぼくらが、いってしまえばたまたま同じ時間に同じ空間に居ただけの、わかりやすくいうと別にぼくらの音を聴きにきたわけではないお客さんを前に弾く。

これはぼくにとっては未体験の感覚で、なるほどこういう状態で弾くと弾く方も聴く方もこうなるのかと、ものすごく新鮮だった。個人的なミスはてんこもりだったので反省は大きいけれど、やっぱりひとの前で弾くことはどういう形態であれいろいろ見えて糧になるもので。こういうところでも闘えるようにならないといけない。

たった二曲だけだったけれど、たのしかった。お世辞にもギターの生音に音響的に向いているとは言えないハコではあるけれど、気張らずに演奏できる場所が近くにあることはすごく貴重だし、観客との距離が近くて生々しい反応がもらえるのはうれしいしたのしいしきもちがよい。

他の出演者の方ともいろいろお話もできたし、知らない曲を紹介してもらえたし、知らない世界も観られたし、ライドシンバルを菜箸で操る謎のおじさんとフルートのおねえさんともセッションもできて、盛りだくさんだった。

地元の方々に愛される空間は居心地がよい。今度は単独でなにかできたらいいなあと、そんなことを思った。

虹晴れギターアンサンブルコンサートに行ってきた

UnisOno さん主催の、虹晴れギターアンサンブルコンサート。友人知人がぞろぞろと出演するので行ってきた。7 月 6 日、相模女子大学グリーンホールの多目的ホールにて。

出演団体は全部で四つで、アンサンブルレインボーさん、ギターアンサンブルピュルテさん、ギターアンサンブル木の響さん、そして主催の UnisOno さん。どこもこの近辺を中心に活動を続けている団体で、ピュルテさんは結成して 19 年、レインボーさんはもう 28 年だそうで。みなさん歴史がある。

どの団体も、団体ごとの嗜好と対象とする聴衆の違いがひじょうに色濃く出た曲目。

個人的な好みを白状すると、ギターアンサンブルでのポップスってどうあがいてもポップにはなれない気がしていて、実は弾くのも聴くのもだいぶ苦手な分野。とはいえ結局はどこも各々が活動するフィールドに合わせた選曲なわけで、そこでぼくの好み云々を言ってもどうしようもないし、まあたまにはそういう演奏会もあるよね。

……と思うくらいにはポップスが多いプログラムの中で、クラシック主体で曲を並べてきた UnisOno さんには、だからちょっと期待していたのだけれど、これはこれで何とも、何とも……。

指揮者が居なくてもこの人数とこの曲目を空中分解させないで最後まで流せるのはこの方々のつよいところではあるとは思うものの、そうはいってもこの人数とこの曲目でこれ以上の演奏を目指すならやっぱり指揮(またはそれと同等の柱になりうるコンサートマスタかコンサートミストレス)はいないとつらいのではと。

こんみすさんに音を集めようとはしていたようだけれど、その所為で表現にエネルギィを使えていない印象で、高校生のように若さと活力にみちあふれているわけでもなく、かといって OB らしいオトナな上品さにみちているわけでもなく、できあがりはどっちつかずなぼんやりとした音楽。

そんな中でもガリレオさんの曲は、弾き手のテンションも高かったし、勢いに乗って音もうまく合ってきていたので群を抜いて聴きやすかった。他の曲もこうなればたのしいのになあと。惜しいところ。

先日のロビィコンサートのときはそこまで違和感はなかったし気軽に聴けていたので、いっそのことあのくらいのカジュアルさを前面に出してくれたほうがぼくには魅力的にうつる。もっとも、あのときは指揮がいたから、その影響もあるのかもしれないけれど。

団体として何を理想としてどういうモチベーションで活動しているのか、ちょっと気になった演奏だった。あの団体もいろいろな演奏会に出るようになって、結成当初より露出は圧倒的に増えているわけだし、変化は折にふれて追っていきたい。

そんな感じでもやもやしながら帰った。ひとのふりみてなんとやらとも、よくいったものだなあと思いつつ。

Kindle for Android でフォントに “明朝” が選べなくなったときの対処

Android 端末(Xperia A)が修理から戻ってきたからアプリケーションをせこせこと入れなおしていたら、Kindle for Android の本文のフォントが “ゴシック” しか選べなくなっていたことに気が付いた。

もともと本は紙で読むひとだったので、これまではずっと紙の本に合わせて明朝体で読んでいたのだけれど。

ためしにゴシック体のまま読んでみたら違和感がすごくて気持ち悪い。直したい。

いろいろ調べてもいろいろ試してもよくわからないので、やむなくサポートセンタに問い合わせ。

チャット窓口ですぐに解決策が出てくるかと思いきや、詳細調査になって、結局返事が来るまで数日かかったけれど、最終的には直った。

直し方

カスタマサービスのひとに教えてもらった方法は二つ。

一つめは、『吾輩は猫である(Kindle 版)』をダウンロードしてみよ、というもの。

  1. Kindle for Android を開いて、右上のショッピングカートボタンをタップ
  2. 検索するなどして『吾輩は猫である(Kindle 版)』のページに行き、購入する
  3. 端末にダウンロードする
  4. 『吾輩は猫である(Kindle 版)』を開く
  5. フォントの選択肢を確認する

え、これだけ? と思ってやってみたら案の定直らなかった。

結局、教えてもらった二つめの方法で直った。英中辞書をダウンロードする方法。

  1. 英語が含まれている Kindle 本を開く
  2. どれでもいいので英単語を長押し
  3. 表示されるボックスの右上の本のマークをタップ
  4. [英語 – 中文] をタップして [ダウンロード]
  5. ダウンロード終了後、[全文表示] をタップ
  6. 端末の [戻る] ボタンで全文表示を終了
  7. 再度、どれでもいいので英単語を長押し
  8. 表示されるボックスの右上の本のマークをタップ
  9. [英語 – 日本語] をタップ
  10. フォントの選択肢を確認する

手順 7 から 9 はたぶん設定をもとに戻すためだけのもので、実質は手順 5 あたりで始まる外字フォントのダウンロードが効いているっぽい。

解決。

切り分け

問い合わせる前にこっち側で調べたのは以下。

  • 別の Android 端末では “明朝” が選べる
    • アプリケーションのバージョンは同一(4.5.1.6)
    • Android のバージョンがちがう(Xperia A は 4.2.2、こっちは 4.1)のでその所為?
    • もしくは機種に依存?
  • 特定の本に限らずどの本でも同じ症状である
  • アプリケーションをアンインストールして再度インストールしなおしても変わらない

原因

不明。

上の方法で直したあと、再現性を確認しようとしていちどアンインストールしてから再度インストールしたら、最初から “明朝” が表示されてしまった。再現性なし、という残念な結果に。直る前は数回入れなおしてもだめなままだったのに……。

あれかな、バンドルされていた辞書を全部消した状態で端末が修理で初期化されたから必要なコンポーネントがダウンロードされないままだったのかな。修理前の端末では上でいう外字フォントっぽいものが辞書にくっついて記憶のないままにダウンロードされていたのかもしれない。謎。

たぶんこの状態で端末を初期化したらきっと再現するだろうなあと思いながらも、そこまで深追いする意味もないのでここまで。

大宮高校ギター部の定期演奏会で、なつかしい堅実な音を聴いてきた

6 月 22 日、大宮高校ギター部さんの定期演奏会に行ってきた。

ここももうコンクールの演奏は長いこと聴いてきたけれど、定期演奏会にはまだ行ったことがなくて。いろいろと身の回りでも動きがあったので、行くにはよい頃合いかなあみたいな、そんな動機。

さびれた市民館での手作り感あふれる演奏会って、ぼくにはとても魅力的。自分の高校の頃を思い出すよね、この年季の入った市民館独特の空気がほんとうになつかしい。みなとみらいとかミューザとかそういうのもそれはそれでいいけど、やっぱりなんていうか、日常の延長で居られる空気の演奏会って大事。

冒頭の “シェリーに口づけ” をすごく手堅く平和にまとめてきていたので、なるほど今日の演奏会はこの空気なのねーと思っていたら、演奏後の MC がちょうハイテンションで『ハイど~も~☆』と始まって、このギャップが…… ギャップが……!!!

そうはいっても MC、とくに女性陣がよい空気を作れていた感じ。耳にやさしい自然体。”クラシックギター” というだけで身構えられがちなこの世界では、観客に力を抜いてもらうために MC は地味にだいじなので、その意味ですごくよく作用していたと思う。

でもだからこそ、白状すると、冒頭で感じた MC のテンションと演奏のテンションのギャップが、最後まで抜けきらなかったのはちょっと残念。

演奏はどの曲もとても堅実で、きっちりとしたほんとうにていねいなつくり。早いところや複雑なところでは若干の揺れもあったけれど、組み立てがうまいから基本的に不安を感じない演奏。

でも逆にいうと、いうなればとても優等生的で、すごくさらりとそつなく弾いてしまうので、魅せどころを魅せきらないままさくさくと進んでしまう面もあり。クラスにひとりふたり居る、涼しい顔をしてさらりと何でもうまくこなしてしまうひとのような、すごいと思う反面ちょっとものたりないとも思うような、そんな感覚もあった。このあたり、つくりかたがむずかしいところでもあるのだけれど……。

個人的にいちばんよかったのは、”人生のメリーゴーランド” の、とくにアルト勢だけで合わせるところ。あの感覚、テンポではなくうたで合わせるあの緊張感と濃く絡み合う空気、とてもよかった。もうすこしうたに合わせた音質になれると文句なしだったけど、それでもじゅうぶんよいうたいかただった。よかった。

あとはアンコールの一曲目。いちばん力が抜けていて、ラフな空気で気軽に聴けてたのしかった。この曲に限らず、プライムのストロークの安定感と勢いは全体のよい核になっていた感じ。ポップスが多めの演奏会だったからなおのこと。

あ、あとウクレレもちょうかわいかった。

“シェリーに口づけ” とか “大フーガ” とか、いろいろなギター合奏団体が昔から弾いている曲は、ここはこう弾くあそこはああ合わせるって、ある種の型が決まっているものが多い。だからその型がわかれば比較的短時間で形になるし、合わせる楽しさも味わいやすいのだけれど、でも言ってしまえば、演奏の “個性” はさらにその一歩先の世界から生まれるものなわけで。

手堅くまとめる力とか、ていねいかつさらっと弾ける力は、どう考えてもまちがいなく強みだから、その強みを活かした大宮高校ならではの音楽って何だろうって、そういう攻め方もありかもしれないなあと。

手堅くまとめるのはあのコーチの得意技(?)なので、いっしょにその先の何かをぶちやぶれると世界が広がりそうな気がする。もっと好き放題やっても平気だって、自由であることは許されているって、表現の振れ幅を爆発させる方法はきっとコーチが教えてくれる……!

個々人のポテンシャルは高そうだし、さてさてそうすると来年に向けてこの方々はどう変わっていくのかしらと。環境の変化は革命を起こすよい機会だし、コーチの手腕に期待ですね。

まずはコンクール、そしてその先の来年の定期演奏会へ。三ヶ月後と一年後、たのしい演奏をたのしみにしています。