多摩高校の文化祭で、ギターアンサンブル部の演奏を聴いてきた

もう何度目かわからないけれど、今年もぼくが愛してやまない母校こと多摩高校の文化祭へ、ぼくが愛してやまない部活ことギターアンサンブル部の演奏を聴きに行ってきた。

9 月 6 日、土曜日。

行ったのは一日目の第一回目の公演。例年通りほかの OB 勢といっしょに外の階段に居座る。

何度も言っているけれど、部活って『楽しいは正義』の最たる例で、活動内容よりも実は部活という活動形態そのものにものすごく価値があるものだと思っている。

入部したきっかけは “ギターであること” だったかもしれないけれど、あるときからギターが “部活を楽しむための手段のひとつ” になることは、たぶんよくあることなのだろう。時間を共に過ごす仲間がいることは、それほどまでに “部活” を魅力的にする。

部活は、だからどうしようもなく、よいものだと思う。だからぼくは好きだ。好きだったし、いまでも好きだ。

そんなことをぱやぱやと考えながら、全力で部活を楽しんでいる現役さんたちを眺めていた。外の階段は、部活が部活であることがよく見える位置でもある。

見えるけれど、音はあまり聴こえない。

もちろん少しは聴こえるし、廊下に首を突っ込めばもちろんもっと聴こえるけれど、でもなんていうか、全力で部活をしている現役さんを見ていたかった、ということもあって。

重奏のうち一団体、音がすばらしくよくでているところがあった。その場にいた三年生にパートリーダ重奏か何かかと聴いたら、『えっと…… つよいひとたちです、こんみすさんとか』という。よい表現だと思った。つよいひとたち。

それ以外の演奏は、そんなわけであまり聴けていない。それでも、Surge もパガニーニも、コンクールの演奏よりもぼくはすきだった。

力まずにスマートに弾くことが、この代にはよく似合う。”笑顔” と書かれた紙を掲げて、それでひとを笑顔にできるのは、つまりは彼の人望だ。

そんなこんなで、総じて部活っていいなあと思った、そんな土曜日だった。

坂戸高校の文化祭で、ギター部の演奏を聴いてきた

行ったことがない高校の文化祭に行くときのわくわく感、久しぶりだった。

8 月 31 日、日曜日。池袋から東武東上線にゆられること五十分(ちかい!)、埼玉県立坂戸高等学校の文化祭、やなぎ祭へ。ギター部の演奏を聴いてきた。

最近では NKG のコンクールでおなじみの坂戸高校ギター部さん。昔は JAEM のにも出ていたし、JGA のにも 2009 年に一度。”独立系” とでも言うか、勝手に親しみを持っていたこの方々。

ひとことでいうと、定期演奏会に行きたくなった。体育館では聴けない音が聴きたくなった。

マジカル☆プレリュードと、ARSNOVA 組曲の第一楽章が、全日本ギターコンクールに向けた二曲。これ以外は映画音楽かポップスというとても文化祭らしい選曲。

文化祭での演奏って、どこの学校でも音響条件はよくなくて、だから音を聴くというよりはどちらかといえば割り切って空気とか雰囲気とか学校そのものとか、音以外のところのを楽しみに行くようなもの。

今回も会場は体育館だったし、ぼくが立っていたのもうしろの方だったから、まともには聴こえないのを覚悟していたのだけれど、思っていた以上に “こなれていた” ので、これはぜひきちんとした演奏会でしっかりと音を聴きたいなあと、そう思った。

コンクール曲ではアルトギターもバスギターもギタロンも弦バスもでてきたけれど、大多数がプライムギターというめずらしい編成。パート分けも特殊そうで、コントラバスギターは見当たらない……?

それでも構成のアンバランスさをあまり感じなかったので、体育館ていう悪条件下であることも考えると、音を作る感覚は鋭そう。やっぱり体育館でないところで聴いてみたい。でもひとついうなら、しかたがないとは思いつつ、打楽器はちょっと大きすぎた……。

そして全体的におとなしいといえばおとなしい。空気も雰囲気も堅実で真面目な印象で、きれいなクラシック曲がよく似合いそうなのだけれど、それは逆に派手さや特徴めいたものを隠してしまうものでもあって。

ポップスや明るくて元気な曲を中心に並べるのであれば、はちゃめちゃにうたうとか、エネルギィを爆発させるとか、がつがつに欲のままに弾くとか、もうちょっとそんなテンションに近付けられたら生まれ変わりそうな気はした。

もうひとつ進行面、たとえば司会の礼とかメンバ紹介とか入り捌けとか、そういうところがとても厳格で統率のとれた礼儀正しい動きだったので、司会のしゃべりのテンションとのギャップあって、楽しげになった空気が細切れにされてしまう感があったのはちょっと残念。このあたり、司会のテンションを基準に時間の流れを作ってみると、風通しもよくなるかもしれない。好みの問題でもあるけれど。

しかし何を言ったところで、やっぱり体育館だっていうのが惜しい! 脳内で補完するにも限界があるし、やっぱりどこかのホールで静かに聴きたい……!

定期演奏会は五月のようなので、来年おじゃましたいところ。生音でのていねいな音作りは得意そうだし、JGA のコンクールにももういちど出てみてほしいなあとも思った。評価軸が違うコンクールが別にあるっていうのは、こういうときにおもしろい。

終わったあと、あまりこない地域なので周辺を散策。ゆったりのんびりとした風景で、視界の広さがうれしかった。

こういうところに学校があるのはうらやましい。晴れた夏の日に広い田んぼの横を自転車で駆ける姿は、ぼくがどこかで憧れているもの。

帰り道、ついでに川越市駅で途中下車。十年くらい前に川越高校古典ギター部さんの定期演奏会を観に来て以来。

ひとがとても多いなか、退色した写真のような町並みを眺めつつ、長いふ菓子を小脇に抱えて、帰路についた。

そんな遠足。たまにはよい。

全国学校ギター合奏コンクール 2014 で、ギター合奏のことを考えた

全国学校ギター合奏コンクール 2014。併催、第 25 回 JGA ギター音楽祭 Kyo-en in 東京 2014。

今年もこの日がやってきた。

8 月 25 日、ミューザ川崎シンフォニーホール。前身の全日本学生ギターコンクールを含めると、ぼくの人生で十二年目のこのコンクール。年にいちどの夏の楽しみになって久しい。

行ってきたというとお客さんのようだけれど、実のところだいたい毎年、裏方のひとりとしてぼくは舞台袖に居る。

袖では見えない風景も、袖では聴けない音楽も、袖では味わえない空気もあるけれど、袖でしか見えない風景も、袖でしか聴けない音楽も、袖でしか味わえない空気もある。

ぼくはそういうものがだいすきで、だからぼくはぼくがそこに居られることがすごくうれしい。

会釈するだけ、ほんのひとことふたこと言葉を交わすだけ、あわただしく動き回っているとどうしてもそれだけしかかなわないこともあるのだけれど、それでも出場するいろいろな学校に、友人知人が居る。自分が出場していたころ、あるいはまだぼくの世界が狭かったころ、どうしたって母校びいきで、いうなれば “多摩とそれ以外” というくくりでしか観られなかった世界も、今ではもうまるで違うもの。

“やりたいからやる” という、人類最強のモチベーションの表出であるところの、部活。

全国にちらばるたくさんのそれが、コンクールとコンサートという似ているようで四分の三くらい対極にあるふたつをそれぞれで繰り返すわけで、どうしたって創発的に進歩するはずだし進化するはずだし発展するはずだし発達するはずで。年々レベルが上がっているとよく言われるけれど、だからある意味でそんなことは当たり前で、逆にそうでなければこの世界に未来はない。

順位が決まって、賞が決まって、今年のコンクールはそれで終わる。どこが勝った、どこが負けた、うれしい、くやしい、いろいろあるし、友人たちがわんわん泣いているのを観て、ぼくだっていろいろ思うけれど。

この日、この学校がこういう演奏をした。その演奏は、この審査員の方々にこう評価された。その結果、こういう順位が付いた。それはもうひとつの事実で、あしたからのギター合奏は、その事実の上でしかできないし、その事実からしか生まれない。あしたのギター合奏は、あしたをいきるひとがつくるし、一年後のギター合奏は、一年後をいきるひとがつくる。

ぼくが出ていた頃と今年のこれとを近似直線で結んでみたところで、この先の百年二百年の予測が立てられるわけでもない。それでも未来は過去がないとつくれないから、この日は未来のギター合奏を作るためには必要不可欠な一日で、それを演奏者として作り上げた七百名はやっぱり偉大な方々なのだと思う。出場することでしか得られないものは、溜め息がでるほどに大きいし、目眩がするほどに大きい。いくら裏で動いていようと、それはぼくには得られない。

これから、この世界はどうなっていくのかしらと、どういう未来がくるのかしらと、少しばかりの不安とともに大きな期待を持ちながら。できればぼくは、この世界の未来の姿を、自分の目と耳で観て聴いていたいと思う。

出場されたみなさま、よい音楽とよい時間をありがとうございました。

ぜひ、それぞれの人生を。

某社の某イベントでビッグバンドと吹奏楽を聴いてきた

8 月 22 日、某社主催の某イベントに行ってよいことになったので行ってきた。会場は都内某所。行ったことそのものは記録しておきたいのだけれど、いろいろ配慮して伏せているあたり、お察しいただきたく。

会社を定時で飛び出して向かったこのイベント。イベントの性質上お子さまを連れた方々多かったけれど、おじいちゃんおばあちゃん世代も居て幅広い。いろいろな企画があったようなのだけれど、夜の音楽の部分だけ狙って参加。

さいしょに聴いたビッグバンドさんは総じておしゃれでオトナな雰囲気で、『じぶんたちの好きな曲』を選んできたようなプログラミング。

若干緊張していたのかなかなかジャジィな空気にもなりきれていなかった感があったけれど、時間が経つにつれてこなれてきて、三曲目(曲名わすれた……)ではサックスのソロのふわふわとした揺れがとても気持ちのよいカンジに。あれは好きだった。

お子さまが置いてきぼりになっている感もあったけれど、ジャズでお子さまの心をつかむのは難しそうだし、親世代向けという割り切りはそういう意味ではアリなんだろうなあと。ふだん単独で演奏会もしているようなので、いっかい行ってみようと思った。

一転して次の吹奏楽さんは、お子さまも完全に対象に含めてきた本気のプログラミング。吹奏楽の定番曲を入れながらも、季節モノ(夏の定番ポップスのメドレ)、流行モノ(ようかい体操第一)などをじゃんじゃん入れてきて、『会場のみんなもいっしょに踊ってみよう!』と攻めてくる。

演奏がうまいのはもちろんなのだけれど、お子さまたちがよろこんでうたっておどってはしゃいでいるのを見ると、うまいプログラムだなあと思わざるを得ない。選ぶ曲もそうなのだけれど、ようかい体操第一でお子さまをがっつり引きつけた状態で吹奏楽らしさ全開の宝島を持ってくるとか、そういう順番もよく考えられている。すごい。

最後は合唱団さんも混ざって、小学校の音楽の授業でやるような(この選び方もうまい!)合唱曲や流行の Let it go(お子さまも大合唱!)、ストレートに明るい曲(たのしい!)など何曲か披露して終わり。

曲の選び方はすごくだいじだなあと強烈に思った夜。たのしかった。

ギターサマーコンサート 2014 に行ってきた

8 月 18 日、月曜日。おしごとを午前中で切り上げて、途中から聴きに行ってきた。会場は相模女子大学グリーンホール。

全国学校ギター合奏コンクールに出場する団体のうち、神奈川県内で活動する方々が集うこの演奏会。毎年コンクールのすこし前に開催されて、幹事は各校で持ち回り。

後ろの三団体しか聴けなかったので、特定のどこかについての言及は控えるけれど、センパイの背中を見て育ったところ、自分たち独自の世界を作っているところ、学校ごとの違いもさることながら、同じ学校のなかでも要素によっていろいろな色が見えて、ああほんとうにもう一年経ったんだなあと。

聴くところによると、ぼくが聴けなかった前半組の演奏も目を見張るものがあったようで。

一週間後のライバル同士で、本番一週間前にして手の内を明かしあう、とても刺激的な場。だからあしたからの一週間が、成長曲線でいえばいちばん伸びる期間。

次の日曜日、ミューザの舞台が、とても楽しみ。ぼくも袖でうるうるしたい。

NHK 交響楽団の N 響ほっとコンサートに行ってきた

8 月 3 日、日曜日。NHK 交響楽団の、N 響ほっとコンサートに行ってきた。

夏休み特別公演と書かれていることからもわかるように、イベント自体は夏休み中のおこさまたち向け。

おこさまたち向けのイベントではあるけれど、おこさまたち向けだからって手を抜くなんてことは当然ながらまるでなく、むしろ平時の定期演奏会よりも熱が入っていた印象でとてもよかった。

おこさまたちってすごく正直で、つまらなくて飽きたらすぐに興味を失ってほかのことをしだすわけで。

だからなのかわからないけれど、奏でられた音楽は、これでもかというほど強烈にオーケストラの魅力をアピールしてきていて、かっこうよさを全力で見せつけてくるような、そんなアツい演奏だった。

ねちっこくて暑苦しいほどにストレートに本気で、それがさいこうに爽快。あそこまで重くて壮大な終わり方をする『キエフの大きな門』は初めて聴いたよ! かっこうよかったー。

オーケストラの魅力を伝えようとして企画されたコンサートで、オーケストラかっこいいなーって思えたので、だからとても気分がよかった。

定期演奏会みたいなかっちりしたのもあれはあれでいいけど、こういう気軽な雰囲気で本格的な音楽が聴ける演奏会っていうのもよいですね。

吹奏楽祭 2014 マーチ&ポップス・イン・HIBIYA に行ってきた

またまた吹奏楽を聴きに。7 月 13 日、日比谷公会堂。

同じ日に洗足音楽大学のクラシックギターコースの演奏会もあって、そちらも魅力的ではあったのだけれど、残念ながらハシゴはかなわず。

のんびりめに家を出たら、東京隆生吹奏楽団さんの演奏中に到着。

着いていきなり観たこの方々がいきなりレベル高くてテンションうなぎのぼり。フルートのソリストさんの身体のつかいかたがイケイケでかっこうよかった。

音楽的情動に素直に従った派手な身体の動きってぼくはすごく好きで、意図的な演出では絶対に表現できない域だし、聴き手の動物的原始的本能的な芯に突き刺さる魅力があると思っている。

社会人と大学生が中心のようで、年齢層は高くない。だからこそよい意味で『脂ののった若手』って感じで、習熟度とか積極性とか柔軟性とか冒険心とか余裕とか体力とかいちばんオイシイころあいで、いちばん音楽を自由に好き放題にアツくできる年齢がこのあたりだよなあと、そんなことを思った。

つづく潤徳女子高等学校さんの演奏は、スマートで隙のない仕上がり。逆にいうとあまり遊びはなくて、演出で表現しようとしていたポップさと演奏とのギャップがちょっと大きくなってしまっていた印象。

舞台前列に並んだ演出担当の方々で演奏者が隠れてしまって、並んで踊っている方々のために BGM を演奏していますよ、みたいな空気に見えてしまったのもすこし残念だった。そして並んで踊っている方々、一曲まるまる楽器を触れないようだったけれど、あれって本人たちはそれでいいのかしら……? 吹奏楽界の文化をよく知らないから、あれもふつうのことなのかもしれないけれど。

最後の東京都職場吹奏楽連盟合同バンドさん。この日のために集まった、東京都内のさまざまな会社の吹奏楽団の有志の方々だそうで。総勢 60 名ほどだとか。

ブルーインパルス、とにかく難しそう……! ほんの数回の練習でここまで持ってくるのは個々人のレベルの高さがあってこそだなあとは思ったけど、それでもまだ “こなせていない” 感じが否めなかった。シンコペーションのもたもた感とか速いスケールのぐらつきとか、全体的に力業で合わせにいっている印象。でもかっこうよい曲でたのしい。

民謡は和太鼓がイイ味を出していた。日本の民謡を西洋の楽器と様式で演奏するのって、よくよく考えるとふしぎだけれど、やってみるとけっこう合うのよね。民謡の勢いと吹奏楽の破裂音は相性がよい。

これとこの次の二曲は、聴いていてたのしかった。とくに最後のアフリカンシンフォニー、すっと耳に入ってきてきもちよかった。演奏するほうも演奏に慣れていそうで、手放しにふわふわと聴いていられる感覚。余裕って大事。

吹奏楽のコンクールにもやっぱり行ってみたくなった。とくに社会人団体のをみてみたい。きっとすごいひとたちがたくさんいる。

宿河原のいつものお店、ポトスのオープンマイクに参加してきた

7 月 6 日、水曜日。

宿河原のいつものお店ことポトス ((ぼくが愛してやまない母校こと多摩高校の最寄り駅、宿河原駅の改札を出てすぐの洋食屋さんのこと。平和でおいしいごはんやさんであると同時に、地元のアー ティストのみなさまがよくライブ会場としてつかう場所でもある。ぼくもよく食べに行くし、ギター部の現役さんも OB 勢も重奏やら独奏やらで何度かお世話になっているところ))さんのオープンマイクの日 ((ポトスで月に数回行われる、いろいろな団体(もちろん個人でもよい)が八つくらい集まって、一団体 15 分くらいの枠でパフォーマンスを披露できる日のこと。音楽のひとが多いけれど、それに限らず、朗読とか、お笑いとか、なんでもありの自由な時間))、所属するバンド(?)の Rubinetto ((そのうち紹介できると思うので割愛するけど、簡単に言うと、アルトギターふたつとアコースティックギターひとつとアルトチェンバロギターひとつとバスギターひとつとベースウクレレひとつを使った、結成してまだ半年も経っていないインストゥルメンタルバンド)) として枠をひとつもらって、二曲だけ演奏してきた。

ギターを始めて 12 年目、これまでいろいろなステージに立ってきたつもりだけれど、どれもお客さんはぼくらのギターの音を聴く前提で来ている方々ばかりだった。演奏者とお客さんの間でそういう前提が共有されていると、弾くほうも弾きやすいし、聴くほうも聴きやすい。どちらにとってもよいことだけど、悪くいえば箱庭的温室的内輪感から抜けにくくなっている要因でもあった。

そんな中で今回、お客さんとしてぼくらの前に座っている数十名の方々のほとんどは、ぼくらが今日ここで演奏することを、ぼくらが弾き出すその瞬間まで知らなかった方々なわけで。何のネームバリュもない知名度ゼロの状態のぼくらが、いってしまえばたまたま同じ時間に同じ空間に居ただけの、わかりやすくいうと別にぼくらの音を聴きにきたわけではないお客さんを前に弾く。

これはぼくにとっては未体験の感覚で、なるほどこういう状態で弾くと弾く方も聴く方もこうなるのかと、ものすごく新鮮だった。個人的なミスはてんこもりだったので反省は大きいけれど、やっぱりひとの前で弾くことはどういう形態であれいろいろ見えて糧になるもので。こういうところでも闘えるようにならないといけない。

たった二曲だけだったけれど、たのしかった。お世辞にもギターの生音に音響的に向いているとは言えないハコではあるけれど、気張らずに演奏できる場所が近くにあることはすごく貴重だし、観客との距離が近くて生々しい反応がもらえるのはうれしいしたのしいしきもちがよい。

他の出演者の方ともいろいろお話もできたし、知らない曲を紹介してもらえたし、知らない世界も観られたし、ライドシンバルを菜箸で操る謎のおじさんとフルートのおねえさんともセッションもできて、盛りだくさんだった。

地元の方々に愛される空間は居心地がよい。今度は単独でなにかできたらいいなあと、そんなことを思った。

虹晴れギターアンサンブルコンサートに行ってきた

UnisOno さん主催の、虹晴れギターアンサンブルコンサート。友人知人がぞろぞろと出演するので行ってきた。7 月 6 日、相模女子大学グリーンホールの多目的ホールにて。

出演団体は全部で四つで、アンサンブルレインボーさん、ギターアンサンブルピュルテさん、ギターアンサンブル木の響さん、そして主催の UnisOno さん。どこもこの近辺を中心に活動を続けている団体で、ピュルテさんは結成して 19 年、レインボーさんはもう 28 年だそうで。みなさん歴史がある。

どの団体も、団体ごとの嗜好と対象とする聴衆の違いがひじょうに色濃く出た曲目。

個人的な好みを白状すると、ギターアンサンブルでのポップスってどうあがいてもポップにはなれない気がしていて、実は弾くのも聴くのもだいぶ苦手な分野。とはいえ結局はどこも各々が活動するフィールドに合わせた選曲なわけで、そこでぼくの好み云々を言ってもどうしようもないし、まあたまにはそういう演奏会もあるよね。

……と思うくらいにはポップスが多いプログラムの中で、クラシック主体で曲を並べてきた UnisOno さんには、だからちょっと期待していたのだけれど、これはこれで何とも、何とも……。

指揮者が居なくてもこの人数とこの曲目を空中分解させないで最後まで流せるのはこの方々のつよいところではあるとは思うものの、そうはいってもこの人数とこの曲目でこれ以上の演奏を目指すならやっぱり指揮(またはそれと同等の柱になりうるコンサートマスタかコンサートミストレス)はいないとつらいのではと。

こんみすさんに音を集めようとはしていたようだけれど、その所為で表現にエネルギィを使えていない印象で、高校生のように若さと活力にみちあふれているわけでもなく、かといって OB らしいオトナな上品さにみちているわけでもなく、できあがりはどっちつかずなぼんやりとした音楽。

そんな中でもガリレオさんの曲は、弾き手のテンションも高かったし、勢いに乗って音もうまく合ってきていたので群を抜いて聴きやすかった。他の曲もこうなればたのしいのになあと。惜しいところ。

先日のロビィコンサートのときはそこまで違和感はなかったし気軽に聴けていたので、いっそのことあのくらいのカジュアルさを前面に出してくれたほうがぼくには魅力的にうつる。もっとも、あのときは指揮がいたから、その影響もあるのかもしれないけれど。

団体として何を理想としてどういうモチベーションで活動しているのか、ちょっと気になった演奏だった。あの団体もいろいろな演奏会に出るようになって、結成当初より露出は圧倒的に増えているわけだし、変化は折にふれて追っていきたい。

そんな感じでもやもやしながら帰った。ひとのふりみてなんとやらとも、よくいったものだなあと思いつつ。

大宮高校ギター部の定期演奏会で、なつかしい堅実な音を聴いてきた

6 月 22 日、大宮高校ギター部さんの定期演奏会に行ってきた。

ここももうコンクールの演奏は長いこと聴いてきたけれど、定期演奏会にはまだ行ったことがなくて。いろいろと身の回りでも動きがあったので、行くにはよい頃合いかなあみたいな、そんな動機。

さびれた市民館での手作り感あふれる演奏会って、ぼくにはとても魅力的。自分の高校の頃を思い出すよね、この年季の入った市民館独特の空気がほんとうになつかしい。みなとみらいとかミューザとかそういうのもそれはそれでいいけど、やっぱりなんていうか、日常の延長で居られる空気の演奏会って大事。

冒頭の “シェリーに口づけ” をすごく手堅く平和にまとめてきていたので、なるほど今日の演奏会はこの空気なのねーと思っていたら、演奏後の MC がちょうハイテンションで『ハイど~も~☆』と始まって、このギャップが…… ギャップが……!!!

そうはいっても MC、とくに女性陣がよい空気を作れていた感じ。耳にやさしい自然体。”クラシックギター” というだけで身構えられがちなこの世界では、観客に力を抜いてもらうために MC は地味にだいじなので、その意味ですごくよく作用していたと思う。

でもだからこそ、白状すると、冒頭で感じた MC のテンションと演奏のテンションのギャップが、最後まで抜けきらなかったのはちょっと残念。

演奏はどの曲もとても堅実で、きっちりとしたほんとうにていねいなつくり。早いところや複雑なところでは若干の揺れもあったけれど、組み立てがうまいから基本的に不安を感じない演奏。

でも逆にいうと、いうなればとても優等生的で、すごくさらりとそつなく弾いてしまうので、魅せどころを魅せきらないままさくさくと進んでしまう面もあり。クラスにひとりふたり居る、涼しい顔をしてさらりと何でもうまくこなしてしまうひとのような、すごいと思う反面ちょっとものたりないとも思うような、そんな感覚もあった。このあたり、つくりかたがむずかしいところでもあるのだけれど……。

個人的にいちばんよかったのは、”人生のメリーゴーランド” の、とくにアルト勢だけで合わせるところ。あの感覚、テンポではなくうたで合わせるあの緊張感と濃く絡み合う空気、とてもよかった。もうすこしうたに合わせた音質になれると文句なしだったけど、それでもじゅうぶんよいうたいかただった。よかった。

あとはアンコールの一曲目。いちばん力が抜けていて、ラフな空気で気軽に聴けてたのしかった。この曲に限らず、プライムのストロークの安定感と勢いは全体のよい核になっていた感じ。ポップスが多めの演奏会だったからなおのこと。

あ、あとウクレレもちょうかわいかった。

“シェリーに口づけ” とか “大フーガ” とか、いろいろなギター合奏団体が昔から弾いている曲は、ここはこう弾くあそこはああ合わせるって、ある種の型が決まっているものが多い。だからその型がわかれば比較的短時間で形になるし、合わせる楽しさも味わいやすいのだけれど、でも言ってしまえば、演奏の “個性” はさらにその一歩先の世界から生まれるものなわけで。

手堅くまとめる力とか、ていねいかつさらっと弾ける力は、どう考えてもまちがいなく強みだから、その強みを活かした大宮高校ならではの音楽って何だろうって、そういう攻め方もありかもしれないなあと。

手堅くまとめるのはあのコーチの得意技(?)なので、いっしょにその先の何かをぶちやぶれると世界が広がりそうな気がする。もっと好き放題やっても平気だって、自由であることは許されているって、表現の振れ幅を爆発させる方法はきっとコーチが教えてくれる……!

個々人のポテンシャルは高そうだし、さてさてそうすると来年に向けてこの方々はどう変わっていくのかしらと。環境の変化は革命を起こすよい機会だし、コーチの手腕に期待ですね。

まずはコンクール、そしてその先の来年の定期演奏会へ。三ヶ月後と一年後、たのしい演奏をたのしみにしています。