過去のついーとから話題ごとにいくつか抜き出して並べる。
こういうついーとを書いているときって、いつかこのネタを膨らませてブログに書こうとだいたいは思っているのだけれど、実際そうはいかないものですね。
弾く、あるいは演奏するという行為
脳を使おう、脳内の音楽を極上にしよう、想像の質を高めよう、という話。
脳は万能なのですヽ(・∀・)ゝ 妄想の世界ならどんな弾き方だってできるしどんな音だって鳴らせるのですヽ(・∀・)ゝ 考えるだけで本当に鳥肌が立つような、そういう理想的で究極に至高で最高な音を、脳内で演奏できるようになろうヽ(・∀・)ゝ 出し方はあとまわしでいいのですヽ(・∀・)ゝ
— くろい (@kurokobo) August 5, 2013
人間のボトルネックは身体動作を伴うアウトプット部分で、決して脳ではないのですヽ(・∀・)ゝ 脳の万能な力を信じて、枷をはめずに、脳に自由にさせてみるのですヽ(・∀・)ゝ 言語化しようとせずにヽ(・∀・)ゝ 言語化すると言語化できる範囲の外に出られなくなりますヽ(・∀・)ゝ
— くろい (@kurokobo) August 5, 2013
脳内で至高の音を出す自分の姿が想像できたら、それを現実世界でトレスしますヽ(・∀・)ゝ 音を出した瞬間、きっと理想とのギャップに幻滅するヽ(・∀・)ゝ そこからが練習だヽ(・∀・)ゝ りそうにひたりげんじつをみつめもだえくるしんであがくのですヽ(・∀・)ゝ
— くろい (@kurokobo) August 5, 2013
宗教じみてきたけどわりとそういう感覚、ぼくは大事にしてる。想像できないものは現実にできない
— くろい (@kurokobo) August 5, 2013
『頭を使って演奏する』ことは、脳にたくさん想像と妄想をさせながら弾くことに似ている。想像する作業と指を動かす作業は半分くらい連動してて半分くらいは別人格。でもどっちもぼくの世界
— くろい (@kurokobo) August 5, 2013
手癖、フォーム
三年前にはこんなことを書いていた。どうでもいいけど文中のカッコが半角なのが気になる。当時は当時のポリシィがあったんだよ……!
毎日のように一緒に居る『先輩』の一挙手一投足が『後輩』に与える影響はものすごく大きい。意図せずとも結果的に『伝承』される部分が増えて、理想的とは言えない『癖』が下の代まで続くのはよくあること
— くろい (@kurokobo) June 16, 2010
部活という短期レンジで考えればその『癖』も生き残る上でそこまで問題はない(とはいえ赤信号をみんなでわたる系でもある)けど、部活を出て基礎のできた社会人に紛れ込むと、その『癖』はとたんに足枷になる。そして定着しすぎているからなかなか外れない
— くろい (@kurokobo) June 16, 2010
なにがいいたいかっていうと、引退して五年経ったいまでも、高校時代のフォームとかタッチの正しくない癖の改善に苦労してますよってこと
— くろい (@kurokobo) June 16, 2010
音質を求める
脳の話に近いけど、やっぱり先に進むには理想がないとね、という話。
アルトギターの音はまさに百聞は一見に如かずってやつでな∩(・ω・)∩ 口でああしろこうしろいうよりも、音を出せるひとが一緒に弾いて音を聴かせるのがいちばん近道と思ってる∩(・ω・)∩ 自分が目指すべき音を知らないと試行錯誤のしようもないからね∩(・ω・)∩
— くろい (@kurokobo) February 11, 2013
手の使い方、爪の入れ方、なんでも口で言うのは簡単なんだけど、言われた方からすれば『それをやって、じゃあ結果的にどういう音になればいいのよ!』っていうのがわからんと練習しようがないわけでな∩(・ω・)∩
— くろい (@kurokobo) February 11, 2013
ぶっとんでうまいひとはうますぎて参考にならないから、身近なところで目標を見つけるとよいです∩(・ω・)∩ あのひとみたいな音が出したいなあと、ぼんやりとでもいいから自分のなかで素直に思えるようになったら第一歩である∩(・ω・)∩
— くろい (@kurokobo) February 11, 2013
誰を目標にしたっていいし、そして誰が目標だって表明する必要もない∩(・ω・)∩ 後輩や同期や先輩のなかでよい音をだすなあと思えるひとがいるとよいですね∩(・ω・)∩ だいじなのは、ほどよい自信過剰とほどよい謙遜とをまぜこぜにして、きれいな音だなあ素直に思えることです∩(・ω・)∩
— くろい (@kurokobo) February 11, 2013
……というわけで学生諸氏にとっての身近な目標たりうる存在になれたらうれしいなあとは思ってるんだけど、そもそもぼくが自分の音を聴かせる機会があまりないわけでどうしようもないな∩(・ω・)∩ 『俺の音を聴けー!!』ってこっちからずかずか行くのもただの傲慢なくそ野郎だし∩(・ω・)∩
— くろい (@kurokobo) February 11, 2013
合奏団の中に信じられないくらいよい音をだすアルト弾きさんがいてな……∩(・ω・)∩ 入団後しばらくしてほあああああって衝撃うけてからずっと目指してるんだけどなかなかなかなかなかなか∩(・ω・)∩
— くろい (@kurokobo) February 11, 2013
弾いてるときはこうなる
@wgmg329 正しい表現かどうかわからないけど、大げさにいうとその時々にリアルタイムに生成される音楽に没入しすぎてアドレナリンだばだばでトランス状態になるような感覚、見た目でどうだっていうより自分が酔える酔えないの世界よね、弾き慣れて余裕出ると音で会話できるでしょ? あの感じ
— くろい (@kurokobo) October 28, 2012
音楽にも機嫌ってものがあってですね。結局ぐるぐる回ってそれは自分の精神状態のあらわれなんだけどさ。それがこう、すっと伸びてくると気持ちが良いんです。でも今日は、なんだか空回りしたんだ(´ω`)
— くろい (@kurokobo) May 21, 2011
殊に音楽に関しては、理論を知らず感覚だけで生きてきたから、とりわけ稚拙であるわけだ。でも感覚は大事にしたいとも思い、だからぼくはぼくのできることをやろうと
— くろい (@kurokobo) May 21, 2011
楽譜を読もう
『楽譜を見ないでもおたまじゃくしの通りに音を並べられるようになった』っていうだけでは、まだまだ暗譜って言えないと思うんです。
暗譜して弾くのも大事だけど、そうかといって練習中に楽譜見ないのがエラいかっていうと全然そんなことないの。もっと楽譜を読もう、だいじなことがたくさん書いてある('ω' )
— くろい (@kurokobo) May 11, 2013
音楽をひとつの言語だとして、楽譜を文章と捉える。アルファベットがひとつひとつの音符。フレーズは単語、流れは文章。音読が演奏、朗読が表現。日本語の文章をぼくらは当たり前のように読めて表現できるけど、音楽っていう言語はそうもいかない。シュタイドルさんは、とても流暢な音楽を話す。
— くろい (@kurokobo) February 26, 2011
日本語の文章は、見た瞬間語句の句切れもわかるし、読むときに付けるべき抑揚もわかって、緩急もわかって、喉を操って好きに表現できる。音楽でもそのくらいできればいいんだな。楽譜読んでて『これは"お"……次が"ん"…………が……く……、あ、おんがく、か』とかそんなんじゃだめなんだな
— くろい (@kurokobo) February 26, 2011
合宿の活かし方
一年前にも facebook で同じことを書いていた。というか、一年前のをコピィしてついーとした。
"合宿でできるようになったこと" は、別に多くなくてもよいのです。"将来的にこうなればよいと理解できたこと" が、たぶん合宿の利益の大部分。で、合宿がおわったあとの練習が、理想を現実にしていく作業
— くろい (@kurokobo) July 24, 2013
去年は合宿に二日間だけ参加してたのでした。
ぼくの行動に起因する何らかのプラスの影響があったらよいなあと思った、そんな合宿。言葉で伝えられることなんて、音で伝わることのほんの表層だけな気がする
— くろい (@kurokobo) August 5, 2012
OB って何なんだろう
歳が離れてくるといろいろと思うところが増える。
老害にならないための確実な方法は、『現役に関わらない』しかないです('ω' ) 関わる以上、程度の差はあれど確実に "歓迎されない" 部分があるはずだという事実は覚悟しないといけないですね('ω' )
— くろい (@kurokobo) May 22, 2013
自分が現役に必要とされているかいないかという自問もけっこうだけど、それ以前にそもそも、必要とされる可能性がある程度に現役に自分が知られているのだろうかということを考えるべき('ω' ) 自分が何をできて何を教えられてどこで頼れるのか、そもそも現役は知らないよ('ω' )
— くろい (@kurokobo) May 22, 2013
現役さんが何か困ったときまず頼るのは誰かって、いきなり OB であるはずがないのよ('ω' ) まずは友人だし先輩だし家族先生後輩だ('ω' ) 現役にはそういう強力な理解者が居るのに、それをおさえて出ていってまで、相応の利益を彼らに与えられるという自信があるのかね('ω' )
— くろい (@kurokobo) May 22, 2013
長く生きてる分だけ多くのことを知ってることは当然のことで、でもだからといって同じ空間に立ってるだけで知識欲旺盛に寄ってきてくれるわけではないのが現実、そもそも知ってること自体を知られてないし、最初に寄っていくのはやっぱり得体の知れない変なのよりはもっと身近なひとなわけで
— くろい (@kurokobo) August 5, 2013
高校時代や大学時代に高校生と一緒にいて『先生みたい』っていわれてもまだ学生ですっていえたからよかったんだけど、ほんとうに先生でも何もおかしくない年齢になってそれをいわれるとすこしふしぎな感覚になるということが最近分かった
— くろい (@kurokobo) April 2, 2013
かつてぼくが、ある OB に対して抱いた強い不満。この辺は 別のエントリ にも書いた。
せめて部活はOBのものじゃないんですよ、ということだけでも言っておけばよかったかな。通じるとも思えないけれど。理不尽なことは往々にしてあるものですね
— くろい (@kurokobo) September 11, 2011
OBってなんだろうなーってずっと考えてるけどよくわからなくてもやもやしてる。演奏会って現役のためのものなのになんでOBが好き勝手コントロールしようとするの(・ω・) ただの暴慢でしょそんなの(・ω・) 勝手に話進めてあとは従わせようとかそういう思考にはまるで共感できない
— くろい (@kurokobo) September 11, 2011
OBがOBっていう地位にあぐらかいてさあお前らあがめたてまつれ奉仕しろ、みたいな姿勢は本当に気に入らない。自分は何もしない徹底的な受け身なのに『現役が○○してくれない、△△をよこさない』とか、現役はOB中心で考えてくれて当たり前、みたいなの、本当に嫌だ
— くろい (@kurokobo) September 11, 2011
現役が90人近くいて、資金難なわけでもないのに、わざわざ現役の手を煩わせてまでOB合奏をやろうとして、それで現役にデメリットを上回るだけのメリットを与えられるわけ? OBの欲に現役を付き合わせるだけの意味があるわけ? 『やりたいからやる』はまず現役のそれを優先させるべきでしょ
— くろい (@kurokobo) September 11, 2011
『現役から連絡来ないから、ああOB要らないんだなって思った』って、そりゃまさにその通りに必要とされてないから連絡こないだけなんだろ☆ とか思っちゃうよね。実際OB入れてやるより現役だけでやったほうがいいっていう判断があったわけだし、なんていうか、もう文句言うな☆
— くろい (@kurokobo) September 11, 2011
むかし話。
『うるさいことをいう怖い先輩は一人くらいいないといけない』というよくわからない姿勢で現役の粗探しをしてリハーサルの時に好き放題わめくおもしろーい先輩もいましたね。なつかしいなー
— くろい (@kurokobo) August 28, 2010
OBに対して『話長いから短くしろ』とか何らかの要求をできる現役さんは少ないわけで、だから『だめっていわれないからやっていい』理論をOBが持ち込むとただひたすら迷惑なだけなわけで
— くろい (@kurokobo) August 28, 2010
当時の『OB』に対して思うところはたくさんあったけど、今は逆に思われる立場になっちゃったわけで、振る舞いとか距離のとり方とかいろいろなかなか思うようにいかないもんだなーとは思ってるんですよ
— くろい (@kurokobo) August 28, 2010
曲選び
@doraaki0 そんな馬鹿な話あるかい(´ω`;) 『やりたい曲をやる』っていうのが大前提ですよ。楽譜が無いってなって初めて、誰かに頼むか曲を変えるか考えればいいの。ぼくはGWなら時間空いてますよ(・ω・)
— くろい (@kurokobo) April 28, 2011
@doraaki0 あのね、部活って誰がなんといおうと現役さんのものなんだから。決定権はすべて現役が持っていいんです。『先輩』はその決定の遂行のための、ただの『便利なツール』、道具って考えてもいい。やりたいようにやって、自分たちでできないところをヘルプだせばいいの(´ω`)
— くろい (@kurokobo) April 28, 2011
一年生と二年生
これもちょこっと 別のエントリ に書いてる。
一年生も二年生も同じ舞台に立って同じ時間で同じ曲を弾く以上演奏者としての立場は対等なはずで、上意下達なだけの空気なのはわりと馬鹿げてるし、二年生が一年生にとって『万能』である必要もそうなろうとする必要もそうであるかのように振る舞う必要もないんだよ、という話がしたかった
— くろい (@kurokobo) August 7, 2012
パート決め。事実ですが、事実ですね。
パート決めか('ω' ) どうせ二年後には全員楽しそうに笑ってるってぼく知ってるよ('ω' )
— くろい (@kurokobo) April 30, 2013
とはいうものの、経験則からの『やればどこでも楽しいよ』という発言は、経験のない一年生にとってはじつに無益な言葉である。提示すべきなのは判断材料であって、妥協理由ではない
— くろい (@kurokobo) April 30, 2013
そんなこんなで、Twilog にはぼくの 2009 年 6 月以降のついーとが全部残っている。Twitter をはじめたのは 2008 年 2 月だから最初のほうのは欠損してるけど、それでももうだいぶながくやってるなあと。関連するっぽいキーワードで検索していくつか抜き出してみると、自分のついーとながら考え方の変遷が見えてなかなかにおもしろい。
黒歴史っぽくて消したいものもいくつかあるけど、なるべく残しておきたい。消すのはいつでもできる。