ぼくにしかできないことが、何かあってほしいと思う。
いろいろなコミュニティに所属していて、どのコミュニティにもいろいろな人がいて、そうしたときに、そのコミュニティの中でのぼくの役割って何だろう、ということを、たまにふと考える。
ぼくがそのコミュニティに居ていい理由はなにか、居ることが許されている理由はなにか。ぼくが『空気』でないのなら、ぼくにはぼくの役割があってしかるべきで、すなわちそれがぼくの存在意義というか、そんなようなものだったりするわけで。
誰かに必要とされれば嬉しいし、誰にも必要とされなければ虚しい。これはわりと誰にでも共通する感覚だと思うのだけれど、はっきりと『なぜ自分が必要とされているか』を自覚できているひとはそこまで多くないのではないかしら。
この話は黒井に聴かせよう、このことは黒井に頼もうといわれる、これを委ねるのは必ず他でもないあの黒井でなければいけないと、そういわれる、思われる『なにか』がほしい。
他人がぼくに何かを求めてきたとき、狙いはぼくの『能力』なのか、『人間』なのか。そこもまた気になるところであり。
人間力というものはこういうことをいうものなのかなあと、漠然とした実感。社会に出たあと生きるのは、たぶんこういうところ。能力を搾取されるのではなくて、人間を求められるひとになりたいですね。