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OBってなんだろうなあとかそういう話

自分で自分の発言引用するのってちょっとかっこわるいね。ついったからです。

今日はぼくの出身高校の文化祭で、ぼくが所属していた部活のOB会みたいなプチ集まりがおひるすぎにあって、そこで文化祭とは別に年に一度ある『定期演奏会』っていうのでいわゆる『OB合奏』みたいなのをやりたいなあ、みたいな議論がちょっとあって、そこでわやわやなった、みたいな流れ。うん、あんまり説明する気ないです。

http://twitter.com/#!/kurokobo/status/112818358960914432

http://twitter.com/#!/kurokobo/status/112874080079839233

http://twitter.com/#!/kurokobo/status/112874752850407424

http://twitter.com/#!/kurokobo/status/112875812457418752

http://twitter.com/#!/kurokobo/status/112877453365624832

書いたらいくつかリプライをもらいました。そうだよねえ! ってかんじの。

http://twitter.com/#!/senyo615/status/112875346617049088

http://twitter.com/#!/kiwamin/status/112875683339972609

http://twitter.com/#!/usoko_0510/status/112876387932712960

OBっていう生き物は不思議です。いろいろなひとがいますよね。いいことをいうOBもいれば、いいこととはちゃめちゃなことをどっちもいうOBもいます。全部が全部はちゃめちゃなひとってあんまりいないので頭ごなしに全否定はできないんだけど、でもやっぱり、ぼくはぼくの考える『OB』っていうのの貫くべきところは貫いていきたいですしね。もやもやしますね。

ひとまず、部活とその演奏会はOBのものではなく現役のものである、というのがぼくの信念なので、そこは曲げたくないところです。


ギターとぼく

初めてギターに触って、もう8年目になった。まだ8年目、とも思うけれど。

ギターアンサンブル、という世界がある。大小さまざまな大きさのクラシックギターをつかって、数十人で合奏する。小さいギターは高い音が出るし、大きいギターは低い音が出る。言うなれば、バイオリンやらチェロやらをつかういわゆる『弦楽合奏』のギター版、とでも言うべきものだ。

さて。

音楽というものが嫌いだったぼくが、ぼくだけの音楽を求め始めたきっかけは、友人——と呼べるほど当時はまだ仲良くなっていなかったかもしれないけれど——の、ほんの些細な、しかし運命的な、軽い一言だった。

——仮入部に行ってみよう、ギターアンサンブル部の。

高校入学直後、とりあえずでもいいから自分の『居場所』を作ろうと、席が近い人々と当たり障りなく行動を共にしておく、ありがちなあの空気の中での一幕。部活は何にしようか、それまで野球部だったけれども高校の野球部ほど本気で打ち込む気はないし、帰宅部はつまらないし、と思案していた中での一幕。

音楽か、このぼくがか、正気か、と、まずは思った。まるで予想しなかった、ぼくにとっては斜め上を行く展開。

ぼくは音楽が嫌いなんだと、思っていたのだけれど、結局、ぼくは彼に従って仮入部に足を向けていた。魔が差した、とでも言うか。ギターなんぞにこれっぽっちも興味はないけれど、少なくとも暇つぶしにはなるし、ほかに行くあてもないから良いかと、まったく積極性を持たない動機。ぼくはとても、さめていた。

ものごとを嫌いになるきっかけも、ものごとを好きになるきっかけも、あとから考えればどうでも良いことだったというのは、よくあることだ。ぼくの場合、音楽を嫌いになりはじめた理由なんて、小学校と中学校の音楽の先生が嫌いだったからという、ただそれだけのこと。音楽の先生に対する嫌悪感が、音楽そのものに対する嫌悪感であると思い込んでいた、あるいは錯覚していた、たぶんその程度のものだったと、今では考えている。

その程度の『嫌い』は、だから本当に簡単にひっくり返る。ほいほいと仮入部に連れて行かれ、ギターという何やら木でできたハコを持たされ、黒い丸と棒の並んだ紙——楽譜という——と数十分にらめっこさせられ、さあみんなで合わせましょうとその場にいた数十人で一斉に音を出させられただけの、お遊戯とも区別のつかないレベルの『遊び』。

かと思いきや、その『遊び』をした瞬間、たぶんぼくはもう入部を決めていた。高校生にもなって弾いたのが『ちょうちょ』であるとか、楽譜の端のイラストがヘタクソだとか、そんなことはどうでもよかった。ああそうか、こういう世界があるのかと、それはなかなかに衝撃的で、とても魅力的で、『音楽』と呼ぶにはほど遠いひどい音しか出なかったけれど、音楽は楽しいと、理解して、実感して、満足した。

そんな出来事から、かれこれ7年と半年が経過した。いまぼくは、そのギターアンサンブル部での経験を経て、社会人中心の合奏団に所属して、高校時代の恩師の元でまだギターを続けている。部活の練習に顔を出したり、楽譜を作ったり、演奏会やコンクールで簡単な手伝いをしたりしている。満足かと聴かれれば、満足だと胸を張って言える。

と、ここで終わればめでたしめでたしなのだけれど、最近、当時のことを思い出すことが多くなった。あの時に戻ってみたいと思ってしまう。今高校でギターを弾いている彼らが、ぼくの戻れない世界と時間を謳歌している彼らが、白状すれば、羨ましい。

なぜ高校に教えに行くのか、という質問に、あまり答えたくない。動機に『逃避』が含まれることを、認めたくないからだ。

自覚はしている。思い出にひたって甘えてばかりいるわけにはいかないし、そもそもそんなことが許されるヌルい環境にいるわけでもない。どうしようもないなあと自覚しながらも、それでも楽な方、甘い方に進みたくなってしまうのは、どうにかしないといけないのだろう。

そんなことを思うのは、最近、ぼくにとって『甘いモノ』であるはずだったギターの世界が、ひょっとしてこれは負担になり始めたのではないかという、漠然な危機感を覚えたからだ。これが事実なら、言い換えれば、縋るべきところがなくなりつつある、ということ。逃げ場がない。

いい加減、次の手をどう打つか、考えないといけない。不器用なのだから、人に何かを言う前に、自分の身の振り方を考えないと。


部活の古いVHS

部屋をあさっていたら高校時代の定期演奏会のVHSが出てきたので、リマスタリングしようと画策。

とはいってもキャプチャボードを持っていないので、VHSをBDレコーダのHDDからBD経由でPCに入れてDVDにオーサリング、っていう回りくどい方法を取る。予定。

とはいえ安いキャプチャボードよりもBDレコーダを信用してるし、BDレコーダ通せばフルHDへのわりときれいなあぷこんが挟まるから、画質調整もトリミングもしやすい。と勝手に思ってる。

画質をちゃんと求めるなら、再生するVHSデッキをもっとちゃんとしたのにするべきだし、そもそものソース映像をきっと先生が持ってるからそこを貰うべきなんだろうけど、まあそこまでしなくてもいいかなと。

しゅうかつと並行して進めたいですね。二年分。一年のころのと、二年の頃の。

ということを考えながら飛ばし飛ばしこの映像を、つまりぼくが一年生の頃の定期演奏会の映像を、だらだら見てたんですけど、えらい懐かしいですねえ。みんな元気かなーとかちょっと感傷的になってしまう。

しかしこれ、ギターを続けてる今だからこそ見える部分がかなり大きいですね。当時は当時で間違いなくがんばってたけどねー。

でもなんというか、こうやって『当時は当時でがんばってた』って今言い切れるってことがすごく大事なことなのかなとか。そんな感じ。 
後悔って後味悪いですからね。

おわり。


部活とか編曲とか

はやく帰れたから高校の部活に行こうと思ったのに、『なんじまでっすかー』って電話したときにはとっくに終わっていたという展開でした。残念すぎる。

自分が編曲した曲がね、80人以上の大合奏団にででんと演奏されるってね、なかなか感激なんですよね。今日その音出しだったらしいんですよ。だから行きたかったのに! どんまい!

編曲らしい編曲をしたのがたぶん高校時代が最初で、マリオのアレですね。 
学年演奏もやったけどあれは弦楽スコアを移調させただけだから編曲ってほどじゃないし、あーでもパート紹介は数えていいのかな。49期のドラえもんもやったんだっけ? 結局アレ使われたんだっけ?

という感じで、実に、4年? くらいのブランクを経て、この前のサマーコンサートだか何だかの会場で編曲頼まれたのをきっかけに早くも全体合奏2曲と重奏1曲の計3曲を納めましたが、正直ものすごく勉強になります。どうもありがとうみなさま。ぼくはがんばります。ました。

編曲のクセっていうのはやっぱりあって、それがつまりウマいヘタに直結するもんなんだなあと、編曲という視点で今まで弾いてきた楽譜を見直すとすごく思うのです。ぼくの場合、まだキャリアがぜんぜんないので、一回一回がすごく貴重なトレーニング。

だからこそ、批判される、という機会を大事にしたいと最近すごく思います。先生に見せてもちょいちょいとした手直ししかしてくれないので正直もっと細かくつっこんでえええと思います。言いにくいですけどね。

曲のくおりちーもそうだけど、それ以上に楽譜っていう記号的表現の美しさみたいなのも追求したいところ。フォントを変えたり、文字間隔を微調整したり、余白をミリ単位で合わせたりとか結構やってるんだけど、まず誰にも気が付かれないよね。

ただ、楽譜における表現に関して言えることは、気が付かれないことはいいことであるとも思うのです。つまりそれは違和感を抱かせない、目に優しい、見易い、ということでもあるわけで、だからまあ、見難いって言われないってことは、ある程度どうにかなっているのかなあなどとポジティブにとらえています。

とはいうものの、そもそも絶対的にこみにけーちょんが足りん。ある程度慣れないと、どうしても現役さんにとってはこっちは「先輩」になっちゃうんだよね。でもそこを越えて慣れてからの意見のほうがいわゆる本音に近いから、ぼくはその段階での評価を大事にしたいんですよね。 
先輩って思われるのけっこうぼく嫌いなんですけど、だからまずはカタチからみたいな感じで後輩におめーら敬語使うんじゃねーぞな感じで今まで生きてきましたけど、さすがに5歳以上離れてくると、いくらこっちがよくてもあっちがよくないんだろうなあと気が付き始めてます。距離の測り方が難しいね。こみゅ力高い人すごいと思います。

高校行ってきたーとか話すと「通報した」とか「犯罪者」とか煽られる(もちろんネタだけどね)こんな世の中ですけど、何が言いたいかっていうと、定期演奏会行けなくなりそうでちょっとうわあって感じだよってことでした。舞台裏の空気大好きなんだけどなー。一年間お預けかと思うとなかなかさびしいものがあります。

テスト勉強の合間に書きました。もちろん企業向けのエントリーシートは比較にならないほどちゃんと日本語固めてますよ。だいじょうぶですよ。