吹奏楽祭 2014 マーチ&ポップス・イン・HIBIYA に行ってきた

またまた吹奏楽を聴きに。7 月 13 日、日比谷公会堂。

同じ日に洗足音楽大学のクラシックギターコースの演奏会もあって、そちらも魅力的ではあったのだけれど、残念ながらハシゴはかなわず。

のんびりめに家を出たら、東京隆生吹奏楽団さんの演奏中に到着。

着いていきなり観たこの方々がいきなりレベル高くてテンションうなぎのぼり。フルートのソリストさんの身体のつかいかたがイケイケでかっこうよかった。

音楽的情動に素直に従った派手な身体の動きってぼくはすごく好きで、意図的な演出では絶対に表現できない域だし、聴き手の動物的原始的本能的な芯に突き刺さる魅力があると思っている。

社会人と大学生が中心のようで、年齢層は高くない。だからこそよい意味で『脂ののった若手』って感じで、習熟度とか積極性とか柔軟性とか冒険心とか余裕とか体力とかいちばんオイシイころあいで、いちばん音楽を自由に好き放題にアツくできる年齢がこのあたりだよなあと、そんなことを思った。

つづく潤徳女子高等学校さんの演奏は、スマートで隙のない仕上がり。逆にいうとあまり遊びはなくて、演出で表現しようとしていたポップさと演奏とのギャップがちょっと大きくなってしまっていた印象。

舞台前列に並んだ演出担当の方々で演奏者が隠れてしまって、並んで踊っている方々のために BGM を演奏していますよ、みたいな空気に見えてしまったのもすこし残念だった。そして並んで踊っている方々、一曲まるまる楽器を触れないようだったけれど、あれって本人たちはそれでいいのかしら……? 吹奏楽界の文化をよく知らないから、あれもふつうのことなのかもしれないけれど。

最後の東京都職場吹奏楽連盟合同バンドさん。この日のために集まった、東京都内のさまざまな会社の吹奏楽団の有志の方々だそうで。総勢 60 名ほどだとか。

ブルーインパルス、とにかく難しそう……! ほんの数回の練習でここまで持ってくるのは個々人のレベルの高さがあってこそだなあとは思ったけど、それでもまだ “こなせていない” 感じが否めなかった。シンコペーションのもたもた感とか速いスケールのぐらつきとか、全体的に力業で合わせにいっている印象。でもかっこうよい曲でたのしい。

民謡は和太鼓がイイ味を出していた。日本の民謡を西洋の楽器と様式で演奏するのって、よくよく考えるとふしぎだけれど、やってみるとけっこう合うのよね。民謡の勢いと吹奏楽の破裂音は相性がよい。

これとこの次の二曲は、聴いていてたのしかった。とくに最後のアフリカンシンフォニー、すっと耳に入ってきてきもちよかった。演奏するほうも演奏に慣れていそうで、手放しにふわふわと聴いていられる感覚。余裕って大事。

吹奏楽のコンクールにもやっぱり行ってみたくなった。とくに社会人団体のをみてみたい。きっとすごいひとたちがたくさんいる。

宿河原のいつものお店、ポトスのオープンマイクに参加してきた

7 月 6 日、水曜日。

宿河原のいつものお店ことポトス ((ぼくが愛してやまない母校こと多摩高校の最寄り駅、宿河原駅の改札を出てすぐの洋食屋さんのこと。平和でおいしいごはんやさんであると同時に、地元のアー ティストのみなさまがよくライブ会場としてつかう場所でもある。ぼくもよく食べに行くし、ギター部の現役さんも OB 勢も重奏やら独奏やらで何度かお世話になっているところ))さんのオープンマイクの日 ((ポトスで月に数回行われる、いろいろな団体(もちろん個人でもよい)が八つくらい集まって、一団体 15 分くらいの枠でパフォーマンスを披露できる日のこと。音楽のひとが多いけれど、それに限らず、朗読とか、お笑いとか、なんでもありの自由な時間))、所属するバンド(?)の Rubinetto ((そのうち紹介できると思うので割愛するけど、簡単に言うと、アルトギターふたつとアコースティックギターひとつとアルトチェンバロギターひとつとバスギターひとつとベースウクレレひとつを使った、結成してまだ半年も経っていないインストゥルメンタルバンド)) として枠をひとつもらって、二曲だけ演奏してきた。

ギターを始めて 12 年目、これまでいろいろなステージに立ってきたつもりだけれど、どれもお客さんはぼくらのギターの音を聴く前提で来ている方々ばかりだった。演奏者とお客さんの間でそういう前提が共有されていると、弾くほうも弾きやすいし、聴くほうも聴きやすい。どちらにとってもよいことだけど、悪くいえば箱庭的温室的内輪感から抜けにくくなっている要因でもあった。

そんな中で今回、お客さんとしてぼくらの前に座っている数十名の方々のほとんどは、ぼくらが今日ここで演奏することを、ぼくらが弾き出すその瞬間まで知らなかった方々なわけで。何のネームバリュもない知名度ゼロの状態のぼくらが、いってしまえばたまたま同じ時間に同じ空間に居ただけの、わかりやすくいうと別にぼくらの音を聴きにきたわけではないお客さんを前に弾く。

これはぼくにとっては未体験の感覚で、なるほどこういう状態で弾くと弾く方も聴く方もこうなるのかと、ものすごく新鮮だった。個人的なミスはてんこもりだったので反省は大きいけれど、やっぱりひとの前で弾くことはどういう形態であれいろいろ見えて糧になるもので。こういうところでも闘えるようにならないといけない。

たった二曲だけだったけれど、たのしかった。お世辞にもギターの生音に音響的に向いているとは言えないハコではあるけれど、気張らずに演奏できる場所が近くにあることはすごく貴重だし、観客との距離が近くて生々しい反応がもらえるのはうれしいしたのしいしきもちがよい。

他の出演者の方ともいろいろお話もできたし、知らない曲を紹介してもらえたし、知らない世界も観られたし、ライドシンバルを菜箸で操る謎のおじさんとフルートのおねえさんともセッションもできて、盛りだくさんだった。

地元の方々に愛される空間は居心地がよい。今度は単独でなにかできたらいいなあと、そんなことを思った。

虹晴れギターアンサンブルコンサートに行ってきた

UnisOno さん主催の、虹晴れギターアンサンブルコンサート。友人知人がぞろぞろと出演するので行ってきた。7 月 6 日、相模女子大学グリーンホールの多目的ホールにて。

出演団体は全部で四つで、アンサンブルレインボーさん、ギターアンサンブルピュルテさん、ギターアンサンブル木の響さん、そして主催の UnisOno さん。どこもこの近辺を中心に活動を続けている団体で、ピュルテさんは結成して 19 年、レインボーさんはもう 28 年だそうで。みなさん歴史がある。

どの団体も、団体ごとの嗜好と対象とする聴衆の違いがひじょうに色濃く出た曲目。

個人的な好みを白状すると、ギターアンサンブルでのポップスってどうあがいてもポップにはなれない気がしていて、実は弾くのも聴くのもだいぶ苦手な分野。とはいえ結局はどこも各々が活動するフィールドに合わせた選曲なわけで、そこでぼくの好み云々を言ってもどうしようもないし、まあたまにはそういう演奏会もあるよね。

……と思うくらいにはポップスが多いプログラムの中で、クラシック主体で曲を並べてきた UnisOno さんには、だからちょっと期待していたのだけれど、これはこれで何とも、何とも……。

指揮者が居なくてもこの人数とこの曲目を空中分解させないで最後まで流せるのはこの方々のつよいところではあるとは思うものの、そうはいってもこの人数とこの曲目でこれ以上の演奏を目指すならやっぱり指揮(またはそれと同等の柱になりうるコンサートマスタかコンサートミストレス)はいないとつらいのではと。

こんみすさんに音を集めようとはしていたようだけれど、その所為で表現にエネルギィを使えていない印象で、高校生のように若さと活力にみちあふれているわけでもなく、かといって OB らしいオトナな上品さにみちているわけでもなく、できあがりはどっちつかずなぼんやりとした音楽。

そんな中でもガリレオさんの曲は、弾き手のテンションも高かったし、勢いに乗って音もうまく合ってきていたので群を抜いて聴きやすかった。他の曲もこうなればたのしいのになあと。惜しいところ。

先日のロビィコンサートのときはそこまで違和感はなかったし気軽に聴けていたので、いっそのことあのくらいのカジュアルさを前面に出してくれたほうがぼくには魅力的にうつる。もっとも、あのときは指揮がいたから、その影響もあるのかもしれないけれど。

団体として何を理想としてどういうモチベーションで活動しているのか、ちょっと気になった演奏だった。あの団体もいろいろな演奏会に出るようになって、結成当初より露出は圧倒的に増えているわけだし、変化は折にふれて追っていきたい。

そんな感じでもやもやしながら帰った。ひとのふりみてなんとやらとも、よくいったものだなあと思いつつ。

Kindle for Android でフォントに “明朝” が選べなくなったときの対処

Android 端末(Xperia A)が修理から戻ってきたからアプリケーションをせこせこと入れなおしていたら、Kindle for Android の本文のフォントが “ゴシック” しか選べなくなっていたことに気が付いた。

もともと本は紙で読むひとだったので、これまではずっと紙の本に合わせて明朝体で読んでいたのだけれど。

ためしにゴシック体のまま読んでみたら違和感がすごくて気持ち悪い。直したい。

いろいろ調べてもいろいろ試してもよくわからないので、やむなくサポートセンタに問い合わせ。

チャット窓口ですぐに解決策が出てくるかと思いきや、詳細調査になって、結局返事が来るまで数日かかったけれど、最終的には直った。

直し方

カスタマサービスのひとに教えてもらった方法は二つ。

一つめは、『吾輩は猫である(Kindle 版)』をダウンロードしてみよ、というもの。

  1. Kindle for Android を開いて、右上のショッピングカートボタンをタップ
  2. 検索するなどして『吾輩は猫である(Kindle 版)』のページに行き、購入する
  3. 端末にダウンロードする
  4. 『吾輩は猫である(Kindle 版)』を開く
  5. フォントの選択肢を確認する

え、これだけ? と思ってやってみたら案の定直らなかった。

結局、教えてもらった二つめの方法で直った。英中辞書をダウンロードする方法。

  1. 英語が含まれている Kindle 本を開く
  2. どれでもいいので英単語を長押し
  3. 表示されるボックスの右上の本のマークをタップ
  4. [英語 – 中文] をタップして [ダウンロード]
  5. ダウンロード終了後、[全文表示] をタップ
  6. 端末の [戻る] ボタンで全文表示を終了
  7. 再度、どれでもいいので英単語を長押し
  8. 表示されるボックスの右上の本のマークをタップ
  9. [英語 – 日本語] をタップ
  10. フォントの選択肢を確認する

手順 7 から 9 はたぶん設定をもとに戻すためだけのもので、実質は手順 5 あたりで始まる外字フォントのダウンロードが効いているっぽい。

解決。

切り分け

問い合わせる前にこっち側で調べたのは以下。

  • 別の Android 端末では “明朝” が選べる
    • アプリケーションのバージョンは同一(4.5.1.6)
    • Android のバージョンがちがう(Xperia A は 4.2.2、こっちは 4.1)のでその所為?
    • もしくは機種に依存?
  • 特定の本に限らずどの本でも同じ症状である
  • アプリケーションをアンインストールして再度インストールしなおしても変わらない

原因

不明。

上の方法で直したあと、再現性を確認しようとしていちどアンインストールしてから再度インストールしたら、最初から “明朝” が表示されてしまった。再現性なし、という残念な結果に。直る前は数回入れなおしてもだめなままだったのに……。

あれかな、バンドルされていた辞書を全部消した状態で端末が修理で初期化されたから必要なコンポーネントがダウンロードされないままだったのかな。修理前の端末では上でいう外字フォントっぽいものが辞書にくっついて記憶のないままにダウンロードされていたのかもしれない。謎。

たぶんこの状態で端末を初期化したらきっと再現するだろうなあと思いながらも、そこまで深追いする意味もないのでここまで。