2013 年 3 月のエントリ

イヤホンのイヤチップを買い替えた話

イヤホンのイヤチップ、軽視されがちだけど実はいろいろと種類がある。

普通のシリコンのでも堅いのと柔らかいのがあるし、シリコンの中にスポンジが詰まってるのもあるし、シリコンじゃなくて耳栓みたいな低反発フォームでできたのもある。

イヤチップを変えると物理的な着け心地も大きく変わるし、イヤホンがぽろりと抜け落ちやすくなるのも防げる。遮音性や音漏れの具合ももちろん変わる。キュッと詰めればとくに低音はしっかり聴こえるようになるけど、音像感は狭くなるとも言われる。

で、SONY XBA-4SL を恥ずかしながら紛失してからというもの、SENNHEISER IE80 を愛用していたわけだけど、イヤチップを付属のや家にあるのをいろいろ付け替えてみてもどうにもしっくりこない。

そんなわけで、かねてからウワサは聴いていた コンプライのフォームチップモンスターケーブルのジェルチップ あたりを試聴しつつ買ってみようということで、秋葉原のヘッドホンとイヤホンの専門店、e イヤホン さんに行ってきた。この手のパーツを 1 ペア単位でバラ売りしているお店はここ以外に知らない。

このお店、大量のイヤホンやヘッドホンを試聴できるし、イヤチップみたいなアクセサリ類も試せる。ヘッドホンアンプも大量にあるし、何より店員さんの知識量が膨大なので、イヤホンヘッドホン関連で迷ったらとりあえず行って話をしてみるのがおすすめ。

さて、コンプライのもモンスターケーブルのも、どちらもサイズがいろいろある。で、店員さんとわちゃわちゃ相談しつつとっかえひっかえ試して、着けた瞬間キュポッといい感じにおさまったジェルチップの S サイズを 2 ペア購入。1 ペアで 580 円。コンプライとは迷ったけど、ちょっと硬くてぼくの耳だと安定感がそこまで得られなかった。

ベースはシリコンのふつうのやつなんだけど、隙間がジェル素材で満たされているから “ジェル” チップ。

手触りはまるでグミ、ぷにぷにでかわいい。

色が白しかないのが惜しいよね、まあいろいろサイズあるから区別するには仕方ないんだろうけど…… などと店員さんと話したけど、着けてみるとやっぱり白くて、イヤピース部分がすごく目立つ。

だから黒がおおいぼくの持ち物の中でのこの白は逆に探しやすくていいのかもしれないと思うことにした。耳に付けたときのキュポッとしてプニッとくる感触がいい。けっこうしっかりした遮音性が確保できたから、電車の中でもいろいろ聴きやすい。

次はポータブルヘッドホンアンプがほしい。でも今の DAP はライン出力ができないから、先に買い替えるべきなのはこっちかなあなどとも考え中。お金が……。

追記(2013/03/24 23:30)

……と、まるでジェルチップの宣伝のようなエントリを書いたはいいものの、やっぱりコンプライが気になるのでこっそり買って使ってみたら、なんだか具合がすこぶるよいので結局こっちに落ち着きそう……。試聴したときの違和感は何だったんだろ。

ジェルチップ、おそらくぼくの内耳の形の所為で、顎の間接の動きによって特に右耳の聴こえ方が激しく変わってしまって、動き回りながら使うにはいまいち向かなかったみたい。内耳の形に追従してシリコンが変形してくれるのはいいんだけど、中で詰まって先端の穴が閉じちゃう(?)のかもなあなどと予想。XS(灰色)も買ってみたんだけどあまり改善しない気配で。

コンプライは軸がしっかりしてるから穴が閉じようがないし、指でくしゅっとしてから詰めるともこっときてぴたっとなるのでよい感じです。とはいえコストパフォーマンスはよくない(数か月で交換するのが推奨されてる)ので、維持費がけっこうかかっちゃう。この点はやっぱりシリコン系が強いですね。

関係ないけど、公式の対応表だと 500 系なのに、e イヤホンの対応表だと 400 系なのよね。e イヤホン信者(?)なので 400 系にしてみたけど特に不満ない感じ。右耳は S で良いんだけど左耳は M でもよかったかも。

そんなわけで徐々に手持ちのイヤチップが(使わないのに)潤沢になってきた。モンスターケーブルのフォームの S、XS、ジェルの S、XS、コンプライの TX400 の S。ぼくが使わないのは布教用にします。


多摩高校

いよいよ建て替え工事がはじまったらしい。

そろそろはじまるとながいこと言われては来たものの、その気配もうかがえないまま数年。今まで校庭として使われていたところ──いつか校庭ではなくなるところ──に、やっと資材が置かれて、組み立てられて、そんなところからようやく進行中と聴く。

そんな中、友人が、すてきな本をつくった。

友人の校内のスケッチとともに綴られる、塚原先生の二十六篇のエッセイ。消えゆく校舎のひとつの遺し方。変化を前向きに受け入れることで新しく生まれる価値もある。

2003 年、ぼくが多摩高校の 48 期生として入学してから、この四月で十年がたつ。いまでも数月に一度は高校に行っているから、姿を消しつつある母校をいまさら眺めたところで語るほどの懐かしさも感じないのだけれど、それでも少しばかりの寂しさはおぼえる。

トイレが外にしかないような、21 世紀にもなって信じがたい環境、それでもよい校舎だったよねと、古い友人に会うたびに語られる学び舎。

でも校舎への評価なんてものは、結局はそのまま自分の高校生活への評価だ。よい校舎だと今思えているのは当時その校舎で生活するのが楽しかったからで、だから友人が感慨深げによい校舎だったなあと語るのを聴くと、ああこのひとも高校生活が楽しかったんだなあと、他人のことながらうれしくなるものである。

『多摩高校』というある種のシステムを形成する要素のうち、『校舎』のしめる割合はどのくらいのものだろう。いまのあそこから校舎 “だけ” が新しくなったとして、それ以外がどう変わるのか。勉強するだけなら校舎なんてどうでもよさそうだけど、知恵とか知識とかそんなくだらないものの伝達よりも “生き方” をつくる方が大事だと思っているので、その意味ではインフラストラクチャの更改はじんわりとした影響もたくさんあるだろうなあと。

ながく続くものが必ずしも最良かといえばぜんぜんそんなことはなくて、もっとよいものはたくさんあるはずなんだけど、そうかといって新しくしたら必ずもっとよくなるとも限らない。風邪をひいて薬を飲まされて、それでその薬が効いたかと聴かれても、飲んでいない場合と比較できないからわからないと、残念ながらそう答えるしかないのが現実。

何十年もあと、あたらしい “校舎” を通じて思い出を語る彼らの顔が、さいこうに幸せそうで楽しそうだといいなあと、ぼんやりと思いつつ。

ページの中でゆるやかに描かれる高校にふれて、ようやくぼくも卒業できる気がした。

追記(2013/03/12 00:00)

エントリ公開後、本の画を担当した友人からこんな連絡をいただいた。

ポートフォリオとして携わった作品をまとめているようで。高校当時からぼくとはぜんぜんちがう目で世界を見ているなあという感覚はあったのだけれど、こうやって実際に制作物をみると本当にそう思う。そんなわけで、興味あればこちらもどうぞ。