2010 年 3 月 28 日のエントリ

就職活動の利点

就職活動というものは始めた当初は厄介なだけかと思っていたけれど、はじめると意外とそうでもないと思える。

自分とまったく違う立場の人と話せるとか、企業がこんなに情報を出してくれるのは今だけだとか、役員が自分の話を聞くためだけに時間を割いてくれるとか、まあそういうまじめなことは今は置いておくとして。

らーめんが食べられるのだ。行く先々で、おいしいのが。

最近は便利なもので、おいしいお店の情報がインタネットですぐ手に入る。口コミに依拠した評価だから、どこまで信用できるか怪しいものもあるけど、でもそのランクで上位のお店に、ハズレはなかなか少ない。

ちょーおいしいらーめんじゃなくていい、おいしいなあって思えるくらいのらーめんでいい。あれやこれやと批評せずに、ほどほどのおいしさで満足できる人間だから、口コミサイトの評価を基準にしてもまったく問題なくおいしいのだ。

さすがに面接前にらーめんを食べるというのは(口臭的な意味で)リスキィだからやらないけど、面接がお昼くらいだったら、朝ごはんを遅めにして面接後に遅めのお昼ごはんとしてらーめん、とかはよくやる。面接は楽しいしらーめんはおいしいし、素晴らしい一日の出来上がりです。

しゅうかつがイヤなら、しゅうかつにくっついてくる、あるいはくっつけられる楽しみを見つけるのも、一つのソリューションです。


空間と音

ギターを嗜むときの感覚の話。

ギターの調子がよくて、爪の調子がよいとき、身体の調子もよくなって、結果としてぼくは良い音をつかまえられる。

空間には、すでに音が、聴こえない音が存在している、と考える。ギターという楽器を通じて、ぼくらはその聴こえない音をつかまえて、表出させる。そんな感覚がある。

ただの物理現象でも、気の持ちようで音が変わるのはなぜだろう。厳密に言えばたぶん錯覚で、同じ『音』をどう解釈するか、その時の立脚点が心理状態によって変わるっていう、それだけの話だと思うけど。

でもやっぱりそれでも、錯覚でも、ぼくにとって『変わる』のは確かなわけで。だから気の持ちようで音が変わるのは、事実なわけで。

感覚で語るなら、錯覚も歓迎されるべきだと思う。お客さんに錯覚を起こせたら、それをたぶん、大成功って呼ぶんだろう。