2010 年 3 月のエントリ

氷河期なう?

今年の就職活動は、氷河期の再来だの超氷河期だの言われている。世間一般では。

でも正直、就職氷河期とか、あと不況とか、そういうネガティブな風潮って、それが蔓延するいちばんの原因は『みんながホントにそういう気になっちゃうこと』だと思っている。

その人にとって『初めての』就職活動のはずなのに、『去年より』厳しいと断言できる感覚が、ぼくにはよくわからない。人間が変われば難易度が変わるのは当たり前のこと。去年就職活動をしていた人と、今年就職活動をしている人は、別の人なんだから、比べて何かがわかるものでもないのではないかと。

『ポジティブに生きよう☆』と言うのなら、まず蔓延した『今年の就職活動は厳しい』というよくわからない『空気』を、そんなものは幻想だとポジティブに捉えたい。

去年は去年、今年は今年。厳しいか厳しくないか、世間の評価など、そんなものはどうでもよくて、厳しいと思い込むことをまずやめた方が、視野は広く保てると思う。


就職活動の利点

就職活動というものは始めた当初は厄介なだけかと思っていたけれど、はじめると意外とそうでもないと思える。

自分とまったく違う立場の人と話せるとか、企業がこんなに情報を出してくれるのは今だけだとか、役員が自分の話を聞くためだけに時間を割いてくれるとか、まあそういうまじめなことは今は置いておくとして。

らーめんが食べられるのだ。行く先々で、おいしいのが。

最近は便利なもので、おいしいお店の情報がインタネットですぐ手に入る。口コミに依拠した評価だから、どこまで信用できるか怪しいものもあるけど、でもそのランクで上位のお店に、ハズレはなかなか少ない。

ちょーおいしいらーめんじゃなくていい、おいしいなあって思えるくらいのらーめんでいい。あれやこれやと批評せずに、ほどほどのおいしさで満足できる人間だから、口コミサイトの評価を基準にしてもまったく問題なくおいしいのだ。

さすがに面接前にらーめんを食べるというのは(口臭的な意味で)リスキィだからやらないけど、面接がお昼くらいだったら、朝ごはんを遅めにして面接後に遅めのお昼ごはんとしてらーめん、とかはよくやる。面接は楽しいしらーめんはおいしいし、素晴らしい一日の出来上がりです。

しゅうかつがイヤなら、しゅうかつにくっついてくる、あるいはくっつけられる楽しみを見つけるのも、一つのソリューションです。


空間と音

ギターを嗜むときの感覚の話。

ギターの調子がよくて、爪の調子がよいとき、身体の調子もよくなって、結果としてぼくは良い音をつかまえられる。

空間には、すでに音が、聴こえない音が存在している、と考える。ギターという楽器を通じて、ぼくらはその聴こえない音をつかまえて、表出させる。そんな感覚がある。

ただの物理現象でも、気の持ちようで音が変わるのはなぜだろう。厳密に言えばたぶん錯覚で、同じ『音』をどう解釈するか、その時の立脚点が心理状態によって変わるっていう、それだけの話だと思うけど。

でもやっぱりそれでも、錯覚でも、ぼくにとって『変わる』のは確かなわけで。だから気の持ちようで音が変わるのは、事実なわけで。

感覚で語るなら、錯覚も歓迎されるべきだと思う。お客さんに錯覚を起こせたら、それをたぶん、大成功って呼ぶんだろう。


IT屋と、テレビの技術屋

ぼくが、IT業界と、テレビ業界の技術部門のどちらにも興味を持っていたころの話。

某テレビ局の人事が、待機部屋でぼくとの雑談の中でふと言ったことがあった。

曰く、テレビは感覚の世界で、ITは理論の世界であると。テレビ業界はたかだか数十秒、数秒の映像に、何十日、何十人もコストを割く、きわめて非効率な世界であると。それに対してIT業界は、いかに時間を短くするか、いかに人を減らすかに注力する、まさに効率化を追求する世界であると。

そして言うには、『どちらも行きたい、という学生がたまにいるけど、でもぼくが考えるにね、この二つの世界って、根本的なところがまったく逆なんだ。だからたぶん、どちらにも適した人間って、ほとんど居ないと思う』と。自分のベクトルがどちらに向いているのか、そこを見極めないと、自分に合わない方向に進んでしまったら悲惨だよねと、にこやかにその人事は語った。

この説明、ぼくはなかなかけっこう気に入っている。もちろんそれぞれの具体的な仕事内容を細かく比べれば、お互いがお互いの性質を内包するところは必ずあるだろうけれど、でもそれは知らないと、体験しないとわからないから、就職活動中のぼくらから見える範囲には、おそらくない。

将来の自分を想像するときはあるけれど、でも結局それは、今考えられる範囲の中での想像でしかない。社会に出ていないぼくらが考えられる『世界』と、実際に社会の中で動いている社会人が考えられる『世界』と、絶対的な差があるのは確実だとおもう。いろいろと学んで経験した五年後に考える『ぼくの将来像』は、今考えられる限界の外にある。今考える『ぼくの将来像』は、『今のぼくが考えるぼくの将来像』であって、『五年後のぼくが考えるぼくの将来像』とはまったく違うものであるはずだとおもうのだ。

だから、どの業界が自分に向いているかを考えるときに、『リアル』な想像は不可能だ。それぞれの『なんとなく』特徴的なところだけを見ることしかできなくて、その『なんとなく』な世界のなかで、どうにかこうにかおぼろげに、『進むべき方向』を探るだけ。でもだからこそ、そうしたときに、例えば先のITとテレビのざっくりとした抽象的な二極構造は、逆にひどくスマートだと、ぼくにはおもえたのだ。


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